経済成長により、生活が豊かになり私たち一人ひとりの幸福につながると考えられている。その経済成長を測る世界共通の指標といえばGDP(国内総生産)だ。
本書「幻想の経済成長」(早川書房)では、現代ではGDPが正確さを欠いており、現実に人々が感じている幸福を表したものとはいえないことを指摘、その見直しを提案している。
「幻想の経済成長」(デイヴィッド・ピリング著、仲達志訳)早川書房
ネット活動カバーできず
著者のデイヴィッド・ピリングさんは、2002年から08年まで英フィナンシャル・タイムズ(FT)東京支局長を務め、その後、アジア編集長を経て、現在はロンドンを拠点に同紙のアフリカ編集長を務めている。その「五大陸にまたがる」取材体験に基づき、「GDP懐疑論」を展開したのが本書だ。
1930年代、ロシアから米国に移住した経済学者により生み出されたGDP。それに計上される活動は、ご都合主義的に採用されたり除外されたりして、数多くの欠点があるという。成長のファクターになっているものには、公害や犯罪、長時間労働を伴う生産活動や、軍事費などがあり、私たちの幸福につながるとは思えぬものが多く含まれる。むしろ、GDPの成長は不平等の拡大などにつながる可能性を秘めたものだ。
現代はIT時代も本格化しインターネットは欠かせぬインフラだ。生活の利便性は増し、私たちの幸福度は上がっているはずだが、さまざまなサービスが人の手を介さずに行われるようになったため、GDPではもはやカバーできなくなっている。
音楽を聴くときは家にいながらにして配信サービスを利用する。旅行に行きたくなったら口コミサイトで場所を選んで、格安航空券の比較サイトで利用空港と日付を入力、「直行便」を選んでOKとなれば、クレジットカード情報を入れてオールセットだ。宿泊先は民泊仲介サイトの「エアビーアンドビー」を検索。出発当日のチェックインも旅行保険もサイトでできる。空港までのクルマは、配車サービスの「ウーバー」任せ。かつては、さまざまな段階でかかったコストや人件費がなくなった。
著者が取材したスウェーデンの音楽配信サービス、スポティファイの部長はこう述べる。
「テクノロジーが実現していることの多くは、そもそも必要がなかったことを破壊すること。最終結果はというと、経済そのものは小さくなるが、人々の生活満足度は高くなるはず」
「時代精神を見事に捉えていえる」と高い評価
著者は2002年から東京で勤務するようになって、「経済そのものは小さくなっている」はずなのに「人々の生活満足度」が高い様子を目撃した。時期は「失われた20年」の最中。こちらはGDPがカバーしていないテクノロジーがあったわけではない。
「02年初めに、FT紙の記者として日本に着任した時、私の目の前に広がっていたのは――GDPによる従来の測定方式によれば――成長をやめた社会だった」と著者は振り返る。確かに、出生率の低下、貧富の差の拡大、雇用状況の不安定さの拡大―などを抱えてはいた。「それでも」と著者。「それ以外の点では、私の目から見て、日本は成功物語を体現しているとしか思えなかった」。それは「この国では犯罪率は低く、公共サービスは高い効率を誇り、国民は健康で長い平均寿命を享受するのが当たり前」のようにみえたからだ。ところが、いずれもGDP統計には捕捉されていない。
日本で経験した、このGDPに表れない成長の目撃が、本書を執筆する至ったきっかけだという。
本書は18年に英語圏で出版され「時代精神を見事に捉えていえる」と高い評価を得た評論の翻訳版。英国の欧州連合(EU)離脱、米国のトランプ大統領誕生をめぐる動きの背景には「幻想の経済成長」あることを指摘して注目された。
英国民がEU離脱を選択したのは、政治的な「経済成長」を守ろうとする専門家らへの抵抗であり、米国民は「経済成長」の果実の大半が、ごく一部の大金持ちに独占されてきたという事実に気づき、その怒りの噴出がトランプ大統領を誕生させた。ただ英国人であるピリングさんは、母国の欧州連合(EU)離脱には反対だ。
ピリングさんは、GDP不要論を唱えているのではない。経済成長の指標のトップとして扱われることが問題なのであり、その数字に接しては懐疑的であるべきと説く。「GDPを補完する形で、世界のより微妙な側面まで反映できる尺度」を提案している。
「幻想の経済成長」
デイヴィッド・ピリング 著、仲達志訳
早川書房
税別2100円