千葉県銚子市のローカル私鉄、銚子電気鉄道(銚子電鉄)は苦しい経営が続いている。これまで、やっとの思いで危機をかわしたことも、一度や二度ではない。
ここ数年の危機を「ぬれ煎餅」でしのいだのも束の間、経営はいまなお「崖っぷち」。テレビの旅番組や街ブラ番組で見かける様子から伝わるのは、のどかな風情ばかりだが、その裏側では社長らサバイバルに奮闘している。人気商品や映画のヒット作が生んだブームに便乗した、あやかり作戦で電車道を進んでいる。
「崖っぷち銚子電鉄 なんでもありの生存戦略」(竹本勝紀、寺井広樹著)イカロス出版
たい焼き、ぬれ煎で副業メーンに
本書「崖っぷち銚子電鉄 なんでもありの生存戦略」(イカロス出版)の共著者の一人、竹本勝紀さんは銚子電鉄の代表取締役。もう一人の寺井広樹さんは、銚子電鉄を盛りあげるためのさまざまイベントをプロデュースし、竹本さんが「救世主」と呼ぶ人物だ。
「ぬれ煎餅」の売り上げが、鉄道部門を上回り、いまや「鉄道会社」から「食品会社」になった銚子電鉄。寺井さんは、その路線を踏襲して「まずい棒」を考案、これがぬれ煎餅以上の人気という。
寺井さんは「離婚式」のセレモニーや「裂人(さこうど)」というコンセプトを考案したプランナーとしても知られる。
銚子電鉄をめぐっては、もう何年も前からたびたび、台所事情の苦しさや廃線の危機に瀕していることが報じられ、そのたびに、何らかの支援で生き延びてきて、地元の利用者や全国の鉄道ファンらは、ハラハラしながら、その後ホッと胸をなでおろしたものだ。
同社がこれまでの危機で、克服に大きく貢献したのは、経営の足しにと副業で始めた「たい焼き」や「ぬれ煎餅」だ。たい焼きは、往年の大ヒット曲「およげ!たいやきくん」がリリースされた翌年の1976年に事業をスタート。ブームに乗って販売は順調に推移した。2匹目のたい焼きならぬドジョウをねらったのがぬれ煎餅。こちらは95年から始めて、99年には年間売り上げが約2億5000万円となり、当時の鉄道部門の売り上げ(約1億4000万円)を大きく上回った。