衆議院を解散して総選挙を行う「解散権」は、いつごろからか政界では、首相の「専権事項」ということになってきた。
そのうえ「衆院解散と公定歩合の上げ下げに関しては、首相はウソをついてもいい」とさえ言われてきた。
「解散権」チラつかせ、安倍首相は楽しかろう
2019年7月21日投開票の参議院議員選挙に当たっては、衆院を解散しての「衆参同日選」がささやかれ、いわゆる「解散風」が吹き出していた。すると、安倍晋三首相は「風は気まぐれで、誰かがコントロールできるようなものではない」と、解散風を煽ってみたり、「解散は頭の片隅にもない」と否定してみたりした。
結局、衆参同日選は見送られたが、僕の想像するところ、この間、安倍首相は「すべては自分の一存で決められる」と、楽しくて仕方がなかったのではないか。権力が持つ「蜜の味」とやらに酔っていたのではないだろうか。
何しろ、衆院議員は安倍首相も含めて465人(定数)もいるし、4年の任期のまだ半分にも達していない。それなのに、自分の一存で全員をクビにすることができる。総選挙となれば、費用が600億円やそこらは掛かるが、それは税金で賄われる。自分の懐はいっさい痛まない。
しかし、こんな途方もないような大きな権限を「首相」という一個人に与えていいものだろうか。安倍首相に限らないが、首相というものは、そんな権限が振るえるほどの立派な人物なのだろうか。
国会の質疑を見聞きしていてもわかるが、歴代の首相と私たちとで「人格」や「識見」といったものに、そんなに差があるとはとても思えない。いや、首相のほうが下とさえ思ってしまうこともある。しょせんはちょぼちょぼである。
英国は内閣だけでは解散できないようにした
ところで、憲法上、そもそも解散権は誰のものかについての定説はないが、それは「内閣」にあるというのが政府の解釈だ。そうなら、首相個人にあるわけではないようだが、実際は違う。
首相以外の閣僚が1人、解散に反対しても、解散は可能である。その閣僚をクビにして、首相が兼務すればいい。極端な話、首相以外の全閣僚が反対しても、首相はみんなをクビにし、すべてを兼務して解散することもできる。
場合によっては、国民の信を問うために、任期途中での衆院解散は必要だろう。だが、生殺与奪の大権を首相個人に持たせるのとは別の話である。
現に英国では、2011年に「議会任期固定法」が制定され、解散には内閣の意思だけではなく、下院の承認も必要になった。わが国でも首相の専権事項に対して何らかの「歯止め」を掛けるべき時期に来ているように思う。
そうでなければ、2017年9月の安倍首相による「国難突破解散」のように、いったい何が国難なのか、世論調査で多くの人が首を傾げたような解散が、今後もまかり通ってしまうのではないだろうか。(岩城元)