自己欺瞞に陥った二人の経営トップ
経営者を生業とする者、すべからく自らの進退については潔さが必要です。潔さは謙虚さでもあります。
瀬戸氏のような雇われの身なら、言わずもがなの撤退は肝要。オーナーであっても、後継者であっても、物理的に社長の座を辞するか否かは別にしても、仮にそれまでのワンマンなやり方に社員が不平不満を感じて何か反旗を翻すような事態があったり、社員が現状に不満を抱いて続々辞めるようなことがあったなら、周囲の意見を聞き入れる機会をつくったり、合議制を取り入れてみる等、実質的にそれまでの自分を辞するような潔さは重要なのです。
よく世の社長が社員に対して発する言葉に、「自分が担当する一つひとつの仕事に対して、プロ意識を持て」というものがあります。プロとはその仕事を責任もって全うすることでおカネをもらう価値のある人のことであり、プロは自分の仕事に厳しく前向きに反省も修正もしなくてはいけないという意味でもあります。
社長も同じく経営のプロです。すなわち、責任ある会社経営をすることでおカネをもらう価値のある仕事する人であり、そうであるのなら、常に自己欺瞞に陥ることなく自己に厳しく前向きに反省も修正もしなくてはいけないことも、また同じはずです。
どんなに小さな組織でも人の上に立つことが当たり前になり、さらに一度頂点に座ってしまうと、人は自己欺瞞に陥りやすく自らの行動に対する反省や日々当たり前と思うことの見つめ直しができなくなってしまうものです。
LIXILの二人の経営者は、それぞれに経営トップとしての自己欺瞞から、取るべき行動を誤ってしまったように、私には思えます。昨秋に始まった今回の一件、世の経営者に対する警鐘として捉えた次第です。(大関暁夫)