創業者が明かした なぜリッツ・カールトンは「世界一」になれたか(気になるビジネス本)

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   「ザ・リッツ・カールトン」は、世界にネットワークを広げる北米発のラグジュアリーホテルチェーンの一つ。日本では1997年の大阪を皮切りに、東京、沖縄、京都で展開しており、独特の行き届いたサービスが知られるようになっている。

   リッツ・カールトンのサービス・ホスピタリティについては、これまでも、日本人関係者らの著作を含めて数々の関連本が出版されているが、創業者による本書は、リッツ・カールトン本の決定版といえる一冊。ホテルビジネスについて読み物としても楽しめ、五輪、万博などが控える日本にとっては、おもてなしの参考書にもなる。

「伝説の創業者が明かす リッツ・カールトン 最高の組織をゼロからつくる方法」(ホルスト・シュルツ、ディーン・メリル著/御立英史訳)ダイヤモンド社
  • 日本第1号、大阪リッツ・カールトン
    日本第1号、大阪リッツ・カールトン
  • 日本第1号、大阪リッツ・カールトン

ハイアット副社長から転進

   ザ・リッツ・カールトンは、スイス生まれの実業家、セザール・リッツが19世紀末に欧州で創業した「ホテル・リッツ」と「カールトン・ホテル」が源流。とはいっても、セザール・リッツ以来の伝統を継ぐパリの「リッツ」と、現代のリッツ・カールトンは別ものだ。

   セザール・リッツの死後、「リッツ・カールトン」の商標使用権を米国の企業家が獲得。その名前を冠したホテルが北米各地で展開され知名度を上げた。しかし、1920年代後半の世界恐慌をきっかけに規模を縮小。それがしばらく続いていたが、83年にアトランタのホテル事業者が「ザ・リッツ・カールトン」の北米での使用権を獲得し、社名を「ザ・リッツ・カールトン・ホテルカンパニー」として再生に乗り出す。本書の著者、ホルスト・シュルツ氏は、このときにスカウトされた。世界ブランドとしての「リッツ・カールトン」の創業者といえるわけだ。

   リッツ・カールトンに招聘されたときのシュルツ氏は、米大手ホテルチェーン、ハイアット・コーポレーションの副社長。本書では、ドイツの地方の小さな村で育った少年がどうしてホテル業界に職を求め、米国に渡ってヒルトン、ハイアットで経験を積み、その過程で学んだことを生かしてリッツ・カールトンを成長に導いた様子が語られる。リッツ・カールトンで、その後に手がけたカペラ・ホテルグループで、洗練され、気配り、目配りが行き届いたサービスを提供する組織が構築されていく様子は興味深い。

お客の満足のため従業員に2000ドル使う権限

   シュルツ氏は従業員に、顧客サービスに努めろと指示だけを繰り返しているのではもちろんない。さまざまなユニークな施策が紹介されている。一部は社内で問題視もされたといい、最も反発が大きかった一つは、2000ドルを上限に自由に決済OKというもの。「総支配人から新米のバスボーイまで、すべてのホテル従業員は、お客様に満足していただくためであれば最大2000ドルまで自由に使ってよい」と決めたのだ。「同僚たちはほとんど卒倒しそうに」なり、チェーンの各ホテルオーナーたちはシュルツ氏を訴える動きさえみせたという。

   顧客の苦情を受けた従業員らの答えは、問題が大きいほど「では、上司と相談してみます」というものになりがち。ホテルに限らずビジネスの世界でも「上司と相談」対応が横行しているとシュルツ氏はいう。ホテルはそれではいけない。顧客は苦情を述べ、その場で解決されることを望んでいる。「靴下がない」と声をあげた子どもに対して母親は解決法を知っている。ホテルは、その母親役を務めなければならないとシュルツ氏は考えた。その振る舞いができるための2000ドルだ。

   チェーンのビーチリゾートホテルで新婚カップルの新郎がビーチで、結婚指輪を紛失した。落ち込むカップルを見かねた従業員らも探すのを手伝うが見つからない。夜になって4人の従業員が相談し、例の2000ドルの一部を使って金属探知機4台を購入。翌朝までに指輪を見つけて2人の朝食のテーブルに置いておいた。しばらくして、喜びにあふれた歓声があがったという。「探知機購入を上司に求めていたら、たぶん1台しか許可されなかった」とシュルツ氏。「4人は、自分たちにそれをする権限があると知っていた。じつに正しい選択をしたというほかない」。このことはメディアでも取り上げられ、「とてつもなくありがたいパブリシティーになった」ものだ。

モンスター顧客にも知恵を絞れば...

   シュルツ氏は14歳のときに、故郷の村を離れてホテルでの仕事を学ぶための寮制の学校に通い、保養施設でホテルマンとしてのキャリアをスタートさせる。幼いころからホテルで働くことを天職のように考えていたようで、灰皿の片づけなどの下働きのころから人を良く観察していた。その経験から「苦情対応の基礎の基礎」を構成した2時間の講座を設け、全従業員に受講を義務付けている。大事なことは、粘り強く顧客の信頼を得るよう努めることという。

   しかし苦情の主のなかには、いわゆるモンスター的な顧客もいる。「知恵を絞れば何かしら創造的な方法が見つかる」とシュルツ氏。あるモンスター顧客は、暴力をふるうなどのすえ「訴えてやる」と叫んだ。シュルツ氏が、法廷では従業員が証言することになると応じると、この相手は黙ってしまったという。

   ザ・リッツ・カールトンはシュルツ氏を迎えた5年後の88年に、全世界にわたるリッツ・カールトンの商標権を獲得。その後、97年に、大阪で開業して日本進出を果たした。翌年にマリオット・インターナショナル傘下に入り、世界展開を加速させ、日本でも2007年に東京、12年に沖縄、14年に京都でオープン。20年には栃木・日光、北海道・ニセコ町、22年には福岡での開業を予定している。

   シュルツ氏は、リッツ・カールトンが成長途上の1992年に「すべてのがんのなかで1%しかない」という悪性の腫瘍の診断を受け絶望の淵に追いこまれた経験をした。手術は成功し術後も順調で、しばらくのちにはフルに仕事に復帰した。本書冒頭のホテルマンとしてスタートするまでの辛抱の物語と、この闘病の物語は、ビジネス書にはめずらしいといえる味わいを添えている。

   シュルツ氏は2002年にリッツ・カールトンを離れ、ウルトラ・ラグジュアリーホテルであるカペラ・ホテルグループを立ち上げた。18年6月、シンガポールの同ホテルで、トランプ米大統領と金正恩・朝鮮労働党委員長による「歴史的」米朝首脳会談が行われ、施設についても詳しく報じられた。本書では、カペラ・ホテルグループの24項目からなる「サービス・スタンダード」を紹介。その内容は、サービス・ホスピタリティーや接客を重視する飲食業の業界でも参考になるだろう。

「伝説の創業者が明かす リッツ・カールトン 最高の組織をゼロからつくる方法」
ホルスト・シュルツ、ディーン・メリル著/御立英史訳
ダイヤモンド社
税別1600円

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