2019年4月30日の天皇(現上皇)退位、5月1日の新天皇の即位に際して、安倍晋三首相が「国民代表の辞」を述べた。
その中身は別として、テレビで安倍首相の姿を眺めながら、ふと疑問を感じた。「首相」は果たして「国民代表」と言える存在なのか? そんなこと、誰が決めたのか? もし、誰かが決めたとするなら、法的な根拠はどこにあるのだろうか?
政敵に容赦ない姿は「国民代表」とは呼べない
正式には「内閣総理大臣」と呼ばれる首相は、行政府の長であり、内閣を代表している。そんなことは僕も知っている。だが、国民を代表しているとは、今まで思ったことがなかった。
少し理屈をこねれば、日本国憲法第四十一条には「国会は、国権の最高機関であって......」とある。すると、衆議院議長か参議院議長あたりが国民代表にふさわしいのかもしれない。
しかし、今の衆院議長、参院議長が誰なのか、知らない国民も少なくはないだろう。恥ずかしながら、僕もすぐには名前が浮かんでこない。国民代表としては、どうも影が薄い。
じゃあ、百歩譲って、立法、司法、行政の三権のうちでは、もっとも目立っている行政府の長、つまり首相に国民代表をお願いするとしようか。ただし、その場合、首相が普段、国民一人ひとりのことを念頭に置いて、政治に取り組んでくれていることが条件になる。
ところが、残念なことに安倍首相の場合、とてもそのようには見えない。2017年7月1日、東京・秋葉原での都議選の街頭演説の際、聴衆から「安倍辞めろ」とヤジを飛ばされると、「こんな人たちに私たちは負けるわけにはいかない」と叫び返している。
国民一人ひとりのことを考えるのではなく、かえって分断を煽っているみたいである。
旧民主党政権のことも「あの悪夢のような......」と悪口をたたいている。自分が「敵」と思った相手を攻撃するのに容赦はない。とても国民代表と呼べる姿ではない。
そうはいっても、天皇の退位や即位の席であいさつする適当な人物が首相以外には見当たらないこともあるだろう。そんな場合には「国民代表」とは名乗らず、単に「首相」あるいは「内閣総理大臣」の肩書だけで「辞」を述べてほしいのである。(岩城元)