「三越前駅」秘話
東京メトロの銀座線(1927年、浅草-上野間開業)といえば最古の地下鉄として知られ、次に歴史があるのは、戦後初、営団地下鉄初の新設路線となった丸ノ内線だ。いずれも、パンタグラフを使う他の路線とは違う「第三軌条方式」というレアな集電方式で他社路線との乗り入れは行われていない。
駅によっては鉄骨造りがレトロ感を醸し出している銀座線だが、実はいまでいうコラボレーションやタイアップ、エキナカ的なビジネスに積極的だったという。例えば「三越前駅」。地下鉄建設を聞きつけた三越側から、当時の東京地下鉄道に「建設費を負担するので」と申し入れがあり実現したという。本書によれば費用は現在の金額で「20~30億円」とみられ「今で言う『ネーミングライツ』の元祖かもしれない」とみる。
この三越前駅新設を知って後を追ったのは上野松坂屋。上野-末広町間の店舗前に新駅設置を要請したものだ。江戸時代から同じ場所で営業を続けるデパートは日本橋三越と上野松坂屋だけ。ライバル意識は当時、相当だったよう。しかし着工後ということもあり、三越前のような話の運びとはならず、ホームは相対式で、デパート直結は片側(渋谷方面行き)だけに。しかも、駅名についても松坂屋は「上野広小路(松坂屋前)」で妥協するしかなかったという。