2016年の米大統領選でドナルド・トランプ氏が当選した直後、中国は「財政見直し」と称して1880億ドル相当の米国債を売却した。
選挙戦で「米国ファースト」を掲げ、「中国との経済関係を改善する」と息巻いていたトランプ氏に、当時の金融メディアは、米国の最大債権者である中国が警告を発したと報じた。
ところが、2018年春に緊張が高まった米中貿易戦争をめぐっては、先に米国が対中追加関税を発動したときにも中国は米国債を「手放す」などと脅すそぶりを一切見せなかった。なぜか――。その答えが、世界の基軸通貨である「米ドル」にあるらしい。
「1ドル札の動きでわかる経済のしくみ」(ダーシーニ・デイヴィッド著 池上彰監訳 花塚恵訳)かんき出版
米ウォルマートから1ドル札の流れを追う
結論を言えば、米大統領選後に中国が米国債を手放したとき、市場ですぐに買い手が現れたから。中国の警告には効果がほとんどなかったようだ。
米ドルは、世界で最も流通する最強の通貨。ドルが経済活動を通じて世界を渡り歩き、行きついた場所でどんなことが起き、それがたとえ遥か遠くであっても、めぐりめぐって私たち生活に影響を与えていることを、読み物仕立てで語られる。
本書「1ドル札の動きでわかる経済のしくみ」(かんき出版)は、米ドルの動きを追えば、世界経済が見えてくるはずと挑んだ一冊。このところ緊張感がさらに高まっている米中貿易戦争の背景を解説する役割も担っている。
米テキサス州のウォルマートで、中国製の格安ラジオの購入に支払われた1ドル札は、中国へ送られる。ウォルマートは製品供給で中国依存を強めて低価格商品をそろえ、米国では「消費の大聖堂」とも称される。
中国に到達した1ドル札は、ラジオを製造した深?の電機メーカー、ミンテン社に届けられる。同社の銀行口座に入金されると現地通貨に両替され、1ドル札は中国人民銀行の金庫に吸い上げられる仕組みだ。
中国は、世界の工場を目指した成長過程で、各工場である企業には国内での調達を「元」で行わせるようにして、取引で得たドルを銀行で両替させて外貨準備高を増やし、米国債の購入などで影響力を高める努力を行っている。
中国の成長過程の解説では、2002年から15年ものあいだ中国人民銀行総裁を務めた周小川氏の功績に触れ、その舵取りの見事さを回想する。周氏の総裁任期中に、国家主席は3人が就いている。中国近代化推進者としての周氏の評価は間違いないところだが、本書では、商務部の重責にあったリ・リン夫人との二人三脚があったことを指摘している。
世界を転々「旅する米ドル」
1ドル札は、中国からドル借款で西アフリカのナイジェリアへ。借款はそこで鉄道建設などに使われたが、1ドル札は主食のコメを輸入するため、インドに旅立つ。インドから今度は、道路舗装に必要なアスファルト用の重質油と引き換えにイラクへと送られた。
このようにドルは、外貨準備に力を入れる中国ばかりではなく、成長への足掛かりをつかみたいアフリカ諸国、成長過程にあるインド、中東の国々でも価値を持ち、国よっては自国通貨にとってかわる場合もある。
旅を続ける1ドル札はイラクから、過激派組織「イスラム国」(IS)との戦闘に必要な武器輸入でロシアへ行く。ロシアの銃器業者はドルの資産価値を高める目的で、1ドル札を含め手にしたドルをドイツの年金ファンドなどに投資。ドイツの金融機関はさらに高利回りでの運用を考え、金融の中心地であるロンドンに。ところが英国では「ブレグジット」をめぐる不安から、資金は米国を向くことになり、1ドル札は振り出しに戻ることになる。
著者のダーシーニ・デイヴィッドさんは、英投資銀行のHSBCでエコノミストとして勤務していたところを、英放送局のBBCにスカウトされ経済番組のキャスターに。2006年、米ニューヨークに転勤。リーマン・ショックに端を発する08年の金融危機が世界的に広がり「お金には国境がないということ」がわかったという。
米ドルは「いまや外貨が関係する取引の87%に使われている」ことを背景に、初の著作として本書が企画された。
本書で監訳者を務めたジャーナリストの池上彰さんは「監訳者まえがき」で「ドルに焦点を当てることで、これほどまでに世界経済が見えてくるとは」と感想を述べ「読み物としておもしろく、国際情勢が理解でき、経済学も学べる」とも。一石二鳥ならぬ、一冊でマルチな楽しみがあるようだ。
この「まえがき」では池上さんはまた、米ドルが第2次大戦後に「世界のお金」になった経緯を解説。こちらからも読者は大いに学べそう。
「1ドル札の動きでわかる経済のしくみ」
ダーシーニ・デイヴィッド著
池上彰監訳
花塚恵訳
かんき出版
税別1700円