平成から令和に時代が移った現在、あらためて平成を振り返ると、平成最後の若き起業家たちは一流の大学を出て、一流企業に就職したりするエリートたちが多いことが、シンクタンク「日本総研」のレポートでわかった。
「昭和の起業家」は野心満々のアウトロー型が多かったが、平成は「社会に貢献したい」というピュアなタイプが多いという。調査をまとめた研究者に、新しい時代を切り拓く令和のイノベーターをどう育てたらよいかを聞いた。
「世界放浪」「裸一貫から」が多かった昭和の創業者
このレポートはシンクタンク「日本総研」のウェブサイトに掲載された「平成を振り返る:若手イノベーターの台頭 -各種調査結果からは見えない新たな潮流-」(「Viewpoint」2019年4月12日付)だ。日本総研調査部上席主任研究員の岩崎薫里さんがまとめた。
J-CASTニュース会社ウォッチ編集部の取材に応じた岩崎さんによると、
「かつては世界を放浪したり、米国で裸一貫から会社を立ち上げたりする人がいました。ひと昔前の起業家は、決してエリート優等生の人生を歩んだわけではない、アウトロー的なタイプが多かったのです」
という。
たとえば、世界中に110店舗以上のレストランチェーン「ベニハナ」(1964年設立)を展開する故ロッキー青木氏(1938年生まれ)は、単身、ニューヨークのハーレム街での路上アイスクリーム売りから始めた。和傘のミニチュアをアイスクリームに添えるアイデアが成功のスタートだった。
旅行会社「エイチ・アイ・エス」(1980年設立)の澤田秀雄氏(1951年生まれ)は工業高校を卒業後、アルバイトをしながら世界50か国以上を旅行した。帰国後「机2つ、電話1本」で起業、世界放浪の経験を生かした企画「インド自由旅行」が大ヒットした。
学歴があまり高くない人も多かった。「カレーハウスCoCo壱番屋」(1978年設立)の宗次徳二氏(1948年生まれ)は3歳まで孤児院で育った。生活保護や早朝アルバイトで学費を稼ぎながら高校商業科を卒業した。日本電産(1973年設立)の永守重信氏(1944年生まれ)は職業訓練大学校卒、キーエンス(1974年設立)の滝崎武光氏(1944年生まれ)は工業高校卒といった具合だ。
「ところが最近、スタートアップ(急成長のベンチャー企業)を立ち上げる若手イノベーターは、一流の大学を出て一流の企業に入った後に起業したり、あるいは在学中に会社を設立したりする人が多いのです。いわば、メインストリーム(陽のあたる主流の場所)を歩いてきた優秀な若者たちです」(岩崎さん)
一流大学出身のITリテラシーが高い平成創業者
その代表的な人物の1人が、フリマアプリを運営する「メルカリ」の創業者、山田進太郎氏(1977年生まれ、早稲田大学卒)だ。山田氏は2013年にメルカリを立ち上げたが、同社は短期間で急成長、2018年に東証マザーズに上場するまで、日本では数少ないユニコーン(推定評価額10億ドル以上の未上場企業)の1つだった。
もう一人が、深層学習技術をコア事業とする「プリファード・ネットワークス」を東京大学大学院在学中に立ち上げた西川徹氏(1982年生まれ)だ。同社はメルカリ上場後の現在、日本で唯一のユニコーンといわれるほどのベンチャーの輝ける星だ。
野望に燃えるワイルドな「昭和の創業者」たちに比べ、「平成最後の創業者」たちがスマートなエリートたちばかり目立つのはなぜだろうか。岩崎さんはこう語る。
「長く続いた日本経済の停滞によって起業は低調でしたが、唯一好調だったのがIT関連です。高学歴でITリテラシーの高い若手イノベーターたちは、相次いで登場する最新のデジタル技術を駆使しながら、様々な分野でスタートアップを立ち上げています。経済停滞で終身雇用制が崩れ、優秀な人ほど外に飛び出す人材の流動性が高まり、彼らの自立心、向上心を高めたことも後押ししています。」
数はまだ少ないものの、海外で起業する人も増えている。「世界を相手に自分の力を試したい」「日本では難しくても、その国ならビジネスの勝算がある」といった積極的な理由からだそうだ。
「『その国が好きで、好きで仕方がないから』という人もいます」と岩崎さん。そんなタイプで岩崎さんのオススメ人物が、小麦粉をタイに輸入する「Connect Asia Interfood」を2018年にバンコクに立ち上げた原五大さん(1985年生まれ・立命館アジア太平洋大学卒)だ。タイの経済発展に伴い、食生活も西洋化してパンの需要が高まる一方、原料の良質な小麦粉が不足している点に着目した。
「タイに来てパンのまずさに驚き、大好きなタイの人に美味しいパンを食べさせてあげたい、と始めたそうです」(岩崎さん)。美味しいパンの基本は、小麦粉の製粉技術にある。そこで、アジアのなかで高い製粉技術を誇る韓国から小麦粉を輸入している。
デジタル化すさまじいインドネシアの熱気に感激
新興国ではデジタル化の進展がすさまじい。日本では飽和状態になっているインターネットとスマートフォンが急速に普及しているのが、世界4位の人口2億6000万人を誇るインドネシアだ。首都ジャカルタで、家電の価格比較サイト「Pricebook」を2013年に立ち上げたのが辻友徳さん(1987年生まれ、東京大学卒)だ=写真(左)。
大学卒業後、ベンチャー企業に就職、1年半後にシンガポールで起業の準備に入り、インドネシア人社員2人と会社を設立。それまでインドネシアとの接点はなかったが、たまたま訪れたジャカルタのショッピングモールの熱いエネルギーに圧倒された。「Pricebook」は、携帯電話やデジタルカメラ、パソコンなどをあらゆる面から比較する。様々な機種の価格、機能、使い勝手、ユーザーの意見など、利用者が知りたい情報を一覧表で知らせる仕組みだ。
同じくジャカルタで、2013年にファッション系ネット通販サイト「VIP Plaza」を始めたのが在日コリアンのキム・テソンさん(1985年生まれ、早稲田大学卒)だ=写真(右)。ネット通販大手楽天を2年で飛び出し、当地にビジネスの新天地を見出した。インドネシアがデジタル化に走り出した初期の頃で、「VIP Plaza」は現在、同国最大級のネット通販サイトに成長している。
ロシアもここ数年、IT立国化が進んでいるが、ロシアと日本との「ITを軸とした架け橋になりたい」と、2017年にサンクトペテルブルグで「SAMI」を起業したのが牧野寛さん(1989年生まれ、東京外国語大学ロシア語卒)だ。在学中から日ロ学生親善サークルをつくって交流を続けており、「SAMI」は当時からのロシアとの人脈を生かし、日本企業のロシア進出やロシアのスタートアップとの連携をサポートする会社だ。
「大震災を助けてくれたロシア人に恩返ししたい」
牧野寛さん=写真=がSAMIを起業したきっかけは2011年の東日本大震災。ロシアに留学生として滞在し、多くのロシア人から励ましを受けた。ロシアは中産階級が少なく貧しいのに、なけなしのお金を募金してくれる人が多いことに感激、「将来恩返しをしたい」と思ったのだった。だから「SAMI」では、日本企業だけでなく、ロシアの若者の起業も支援し、日本進出を手伝っている。
こうした若きイノベーターたちと接してきた岩崎さんはこう語る。
「彼らに共通しているのは、とてもピュア(純粋)であること。もちろん、ビジネスでお金持ちになり贅沢をしたいという気持ちもありますが、皆さんよく『何か生きてきた証を残したい』と言います。牧野さんのように『お世話になったロシアのお役に立ちたい』という人もいます。原さんは『タイが好きだから、将来世代に貢献したい』と、ゆくゆくはタイで学校を造ることを夢見ています。また、キムさんは、『インドネシアでは日本の地位が落ちている。日本人でも活躍できることを自分がロールモデルになって示したい』なんて、しびれることを言うんですよ」
と笑った。
「令和」になっても若手イノベーターを多く輩出するようになるにはどうしたらよいか。岩崎さんは2つの点を強調した。一つは、
「日本社会は、失敗すると冷たいですが、若者の失敗を大らかに許すことです。イノベーターは『金の卵』です。起業のほとんどが失敗します。失敗した人に敗北者の烙印を押さず、その経験を買って企業が雇ってほしい。誰もが大谷翔平や大坂なおみ選手になれるわけではないですが、応援することはできます。イノベーターが大谷翔平や大坂なおみになれば、次の世代に彼らに続く者が出るはずです」
もう一つは、イノベーターを政府の審議会メンバーに入れたりして、彼らの声を政策に反映することだという。岩崎さんは、こう説明した。
「古い世代が作ったさまざまな規制が、彼らをつぶしているからです。たとえば、ある若者がお年寄りや障害者に付き添うサービスを始めました。自分では忙しくて実家に帰れない人の代行として、田舎の親を見回ったり、話し相手になったり、病院に連れていったりするのです。ところが、歩けない親をクルマに乗せて病院に連れていくと、『白タク行為』とされて違法になります。仕方なく、バスや鉄道などの公共交通機関を使っています。こうした規制が非常に多くて、若いイノベーターの足を引っ張っているのです」
(福田和郎)