新井浩文という俳優が2019年2月1日に「強制性交」の疑いで逮捕された。
途端に、彼が出演した映画やドラマが一部を除いて次々にお蔵入りした。映画は公開が中止になったり、延期されたりし、放送後にインターネットで見られたドラマも配信が止まった。
作品には罪はない
相次ぐお蔵入りだが、でも作品そのものには、なんの罪もないし、そもそも新井容疑者がひとりで作ったものでもない。しかも、過去の作品までもが対象になっている。だから、僕は公開の中止や延期、配信の停止自体がそもそも間違っていると思うのだけど、それ以上に納得できないのが、お蔵入りが「総合的に判断した結果」だという説明である。
朝日新聞の報道によると、「NHKオンデマンド」で大河ドラマ「真田丸」など11作品の配信を停止したNHKと、「モンテ・クリスト伯」など7作品を配信停止にしたフジテレビは、ともにその理由を「総合的に判断した結果」と説明している。
しかし、これだけでは、どういう根拠でお蔵入りになったのか、さっぱり分からない。「総合的判断」にあたってNHKは「世の中がどう見ているのか」を重視したそうだし、フジテレビは「社会的影響などを考えた」とのことだが、分かりにくさは一向に変わらない。
少なくとも、三つやそこらは具体的な理由・根拠を挙げたうえで「総合的に判断した」と言うのであれば、賛否は別にして、言いたいことは分かる。しかし、それらがない「総合的に判断」だけでは、何も言っていないのと同じではないだろうか。
責任逃れでしかない
僕が想像するところ、新井容疑者の作品を引き続いて流したら、たとえば「あんな悪者の出ている作品でカネもうけするなんて、けしからん」などといった批判や反発が出てくるのが、NHKやフジテレビは怖かったのだろう。
だけど、そう正直に言うのは体面が悪くて恥ずかしい。そこで、「総合的に判断」という表現で逃げたのではないだろうか。責任逃れの発言と言えるだろう。
そして、こんな無責任な言葉遣いが、今回の「お蔵入り騒動」に限らず、世の中のいろんなところでのさばっている。
クレジットカードへの加入やローンの申し込みが断られるときも「総合的に判断した結果」である。国会で政権側が使うこともちょくちょくあるし、会社などの組織の中でも、上司が部下に向かって、そう言うことが少なくはないようだ。
「総合的に判断した」と言うほうは、気分がいいだろう。中身はなくても、いかにも高度な判断をしたような気持ちにもなれる。「上から目線」である。しかし、言われるほうは、たまったものではない。相手が上司だったら、文句も言えない。
とはいえ、こんな言い方をいつまでもはびこらせていては、世の中は少しもよくならない。組織の中の若手の諸君も、勇気を出して、「総合的に判断」の理由や根拠を上司に質していこうではないか。(岩城元)