『巡礼ビジネス』(岡本健著)KADOKAWA
映画やテレビドラマの大ヒットで、その舞台が観光地化する「聖地巡礼」現象。そうした場所を訪ねる旅行は「ご当地めぐり」などと呼ばれ、機を見るに敏な旅行会社は素早くパックツアーを仕立てたりする。
ここ数年、そういったツーリズムが起こるきっかけが、アニメなどのポップカルチャーやテレビの旅番組に広がり、かつSNSが世界に及ぶようになって、人の動きも活発化している。
観光ビジネスで無視できぬ存在に
テレビでは近年、従来の旅番組に加えて、「街ブラ」や飲食店を紹介する番組が増え、それらで紹介された店は、放映後からしばらく行列が絶えない状態が続くことがしばしばという。
2年ほど前、記者は東京都東部の街の小さな喫茶店前に、その店構えからはあり得ないような長蛇の列を見かけたことがある。その数日前、タレントのマツコ・デラックスさんがテレビで、この店のパンケーキがおいしいと紹介したため、お客が殺到したそうだ。
こうした「巡礼」は、大都市でばかりで見られるわけではなく、地方の街の小さな商店や山奥で営む飲食店などでも繰り広げられている。ただ、情報番組コンテンツがテコになった「巡礼」は持続可能性に問題があり、地域の観光振興にまではなかなか至らない。
とはいえ、「いつもの場所」が観光資産になる可能性を秘めていて、なかでも地方の観光関係者や専門家が「観光資産」として注目しているのが、ファン層が厚いアニメなどのポップカルチャー。『巡礼ビジネス』の著者で、奈良県立大学地域創造学部の岡本健准教授は観光ビジネスにおいて、アニメの舞台などをめぐる「聖地巡礼」が無視できない現象になっていると指摘。フィールドワークによって集めた豊富な事例から論考している。
大河ドラマより持続可能性がある
巡礼的な現象を招く存在としては以前から、NHKの大河ドラマが知られるが、持続可能性という点ではアニメのほうが有望で、観光の資産価値は格段に高い。
たとえば、地域振興に大きな効果があった先駆的アニメとしては「らき☆すた」が知られる。4コマ漫画が原作で、その舞台は埼玉県久喜市鷲宮。当地の土師祭(はじさい)という地元の祭りで、2008年から「らき☆すた神輿」が登場しており、2017年で10周年を迎えた。
本書で引用されている観光行動論研究者による調査では、大河ドラマをめぐる観光への波及効果は、放映2年前の舞台決定時から徐々に見えはじめ、放映と年にピークとなり、その2年後には効果は消えてしまう。地域によっては放映前から、にぎわいが減退するところもあるそうだ。
「このことを考えると、07年に放映されたアニメ『らき☆すた』の舞台となった場所で、地元のお祭りに作品をテーマにした神輿が10年出続けるというのは驚くべき事態」と、著者。地元で調査をすると、商工会のメンバーらが訪問者らに聞いて、人気アニメの舞台になっていることがわかり、それまではなかった観光客受け入れの態勢を整え始めたそうだ。
当初、住民のあいだでは、予期せぬ「観光客」の大群に恐れをなす向きもあったが、街が活性化していくのを目の当たりにして、徐々に態度が軟化。商店の中からは、着替え場所を探して苦労しているコスプレイヤーたちにスペースを提供する店も現れた。
さらに地元では、漫画やアニメの版元に働きかけてイベントの企画やグッズを製作。その仕掛けや取り組みがメディアに載り、SNSで発信され、インバウンドブームの流れに乗って海外からの訪問客も増加した。
ゲストがゲストもてなす新構図
一方、アニメ「けいおん!」の舞台となった滋賀県の豊郷小学校旧校舎群では、「巡礼者」たちがリアルに再現した作品のシーンで、その場所が、より聖地化。それが巡礼を呼び込むことになったという。
それは「けいおん!」のなかで、部室として描かれている部屋の風景。アニメでは、キャラクターたちが部室でお茶を飲むシーンがたびたびあり、そのうちの一人が富裕な一家のお嬢さまで、彼女が英国の高級テーブルウエアであるウェッジウッドを用意する。巡礼者たちは、作品中の製品を特定してそろえ、それらをリアルな場できれいに並べたのだ。
著者は、「ここで注目していただきたいのは、巡礼者がさまざまなものを持ち寄ったことでアニメのシーンが再現されてしまったということ。この『遊び』は立派な観光資源」という。
食器は地域の人たちではなく、巡礼者たちによって用意された。ゲスト(旅行者)がゲスト(旅行者)をもてなすという構図は、これまでにない巡礼ビジネスに資する新しい観光ホスピタリティーといえそうだ。
『巡礼ビジネス ~ポップカルチャーが観光資産になる時代』
岡本 健 著
KADOKAWA
860円(税別)