日本から中国に行って街中を歩くと、道路わきに置かれたゴミ箱の多さに目を奪われる。
写真は桂林で撮ったものだが、手前のゴミ箱から20メートルほど先にも、またひとつある。写真には写っていないけど、さらにその先にもひとつ、街中にゴミ箱があふれているみたいである。
2階建てバスのフロアごとにゴミ箱!
実はこの光景、桂林だけではない。中国のどの都市に行っても同じなようで、道路を歩いていて手元のゴミの捨て場に困ることはまずない。
ちなみに、ゴミ箱はおおむね、資源として回収できるものを捨てる部分と、その他のゴミの部分のふたつからなっている。
街中にゴミ箱が目立つのは、何も中国に限ったことではないだろうが、「(2001年)9.11」以降だろうか、日本ではゴミ箱をあまり見かけない。そのせいで、日中両国の大きな違いにイヤでも気づかされる。
街中だけではない。下の写真にあるように、桂林では公共バスの中にもゴミ箱が置いてある。家庭で使うようなプラスチック製の粗末なものだが、2階建てのバスだと、ちゃんと2階にも備え付けてある。
僕は中国からの帰り、上海から大阪行きのフェリーに乗ったのだが、ターミナルの広い待合室で見渡したところ、なんと10以上のゴミ箱が目に入ってきた。手元のゴミをどこに捨てようかと迷ってしまうぐらいだ。
翻って日本では、テロを恐れてか、街中などのゴミ箱はどんどん減ってきた。わが家の近くの公園でも、大きな金網製のゴミ箱がいくつもあって便利だったが、いつのまにか姿を消してしまった。
日本では「ゴミは持ち帰れ」ということ
日本では、「ゴミは持ち帰れ」ということなのだろう。そして、決められた日に、ちゃんと分別して、決められた場所に置いておきなさい、そうでないと、ゴミの収集はやりません、ということになっている。
しかし、中国では適当に分別して街中のゴミ箱に捨てておけば、役所がちゃんと集めてくれる。日本の冷たい役所とは大違いだ。毛沢東氏の有名な言葉「為人民服務」(人民のために尽くせ)が今も生きているのだろうか。住宅団地内のゴミ箱だと、資源として回収できるかどうかなんて、考える必要もない。一緒くたにゴミ箱に放り込んでおけば、誰かが絶えずやって来て、カネになるプラスチックなどは持ち去ってくれる。
中国式と日本式とでは、どちらがより好ましいだろうか――。ひとつ言えるのは、中国人が初めて日本に来た時、街中にゴミ箱が見当たらないので、「どこに捨てればいいの?」と、戸惑ってしまうそうだ。やむを得ず、道端に捨てれば、日本人から白い目を向けられてしまう。逆に、日本人が初めて中国に行っても、ゴミ箱の多さにびっくりするぐらいで、戸惑うことはまったくない。
したがって、僕に言わせれば、中国の役所は人民に対して、少し親切すぎるのではないか。中国人が日本に旅行した時にあわてないためにも、日本の役所を見習って、人民にもう少し「自己責任」を求めるべきではないだろうか。
公共バスの中のゴミ箱なんて、過保護も過保護、まさにやり過ぎである。(岩城元)