「下町ロケット」の佃製作所がブラック企業かどうかをめぐり、インターネット上ではアツい論争が広がっている。J-CASTニュース会社ウォッチ編集部では、労働関連法の専門家であり、企業に労務管理や社会保険に関する相談・指導を行う専門職である社会保険労務士の岩田健一さん(愛知県岩倉市)に話を聞いた。
岩田さんが、すでに昨年(2018年)11月19日に自分のブログで「下町ロケットはブラック企業なのか」と問題点を指摘。今年1月10日にも「下町ロケットのブログ記事から問い合わせが来ました」で、さらに争点を深く掘り下げていたからだ。
佃製作所の社員は社長をブラック経営者として訴えるか?
――岩田さんは、「下町ロケット」をずっとご覧になっていましたか。
岩田健一さん「はい。仕事で見そびれた時もありますが、ほぼ毎回、見ています。とてもおもしろく、物語としては非常に楽しませてもらいました。」
――ズバリ、お聞きします。佃製作所はブラック企業でしょうか。
岩田さん「非常にファンが多い『下町ロケット』に関して話すわけですから、これはとてもデリケートなテーマだと思っています。私は中立の立場であることを先に宣言してから話させていただきます。私自身は佃製作所を擁護するつもりも批判するつもりもありません。社会保険労務士法第1条の2に『(前略)公正な立場で、誠実にその業務を行わなければならない』とあります。公正な立場で話させていただきます」
――ということは、法律的な面ではやはり問題があるということですか。「ブラック企業だ」とする立場の人は、主に(1)佃航平社長(阿部寛)による「やりがい搾取」(2)定時に帰る技術者の軽部真樹男(徳重聡)が憎まれ役になるなど、長時間労働を強いる職場の同調圧力がある(3)佃社長が熱い演説をぶつと、みな集団催眠にかかるような全体主義、精神至上主義があること――などを問題にしていますが。
岩田さん「私が社労士として『佃製作所はブラックか』と問われれば、『法律的にはアウトの可能性がある』としか言えないです。たとえば、ほかの会社の裁判闘争のために、全社員が長時間労働をする。社員が新潟の農家の手伝いに行く。ドラマでは盛り上がりますが、法律的には適法なのかなと感じました。
農家の手伝いに関しては、業務命令か従業員本人の意思(業務外)なのかあいまいですし、業務命令でやらせているとしたら、労使間の『36協定』(残業時間等の規制)通りに適法な範囲内で残業させているのかとか、残業代はきちんと計算されて払われているのだろうかとか、労働法の専門家として気になってしまう。そもそもドラマでは描かれていない部分が多いですから、はっきり法律違反かどうかはわかりませんが。
しかし、労働法の世界ではアウトだとしても、佃製作所の従業員は果たして佃社長をブラック企業だとして訴えるのでしょうか。答えはノーです。だって、ほぼすべての従業員が働きたくて働いているから。働くことに幸せを感じているから。それは、佃製作所が『日本の農業を変える』『農家の人のためになる質の高い製品を作る』という企業の夢、使命感に共感している仲間によって運営されているからです」
中小企業は夢とビジョンで勝負しないと生き残れない
――それこそが「やりがい搾取」だという批判があります。経営者が社員に「夢をかなえる」「自分が成長するためだ」と叩きこんで、「やりがい」を意識させ、長時間労働を不当に利用するというものです。
岩田さん「そうでしょうか。本当のブラック企業というのは、従業員を人とは思わず、酷使し続けるような会社のことをいうのだと私は思います。ドラマでは佃社長が、無理やり社員を新潟の農家に行かせたりしているようには見えない。それが『やりがい搾取』と言われればその通りかもしれないです。しかし、やりがいがない会社とそうでない会社であれば、やりがいのある会社で働きたいのは当然ではないでしょうか。
心理学の世界で、人間の欲求に関して『マズローの五段階欲求説』があります。(1)生理的欲求(2)安全欲求(3)所属欲求(4)承認欲求(5)自己実現欲求の、5つの段階があります。今の日本では、1と2番目の生理的欲求と安全欲求は満たされているでしょう。会社にただいるというのは、3番目の所属欲求のレベルです。会社で評価されて報酬が上がると4番目の承認欲求のレベルでしょうか。そして、やりがいを感じるうえで大切なのは5番目の『自己実現』です。
佃製作所の夢と、従業員の夢が一致しているのであれば、従業員は会社に所属したまま自己実現することができる可能性があります。通常、自分のやりたいことをやろうと思ったら、勤め人ではなかなか難しいです。その夢を、会社で勤めながら達成できるのであれば、その人にとってはそれが幸せなことなのではないでしょうか。だいたい、佃製作所のように社員に夢を見させることができる企業がどのぐらいあるのでしょうか」
――なるほど。確かに社員に「夢を見させてくれる会社」は少ないですね。
岩田さん「『社長の仕事は社員に夢を見させることだ』と言っていた零細企業の経営者さんもいました。実際に零細企業相手に社労士の実務をしていると、いくら努力をしても回避不可能な一時的な長時間労働は現実にはありうることです。元請けの大企業が自分の社内では『働き方改革』と言っておきながら、下請けには無理な納期を押し付けてくることもあるからです。下請けの働き方改革も考えていただきたいです。
零細企業の場合、大企業とは違って、社長と社員の距離感が近い。その距離感は家族同然ぐらいに近い場合もあります。そういう会社にまで大企業と同じ法律を適用するのは、現実に合致していないと私は感じます。
法律を企業に守らせる側面も持つ社労士としては言いにくいことですが、法律を厳密に守ることが果たして本当に従業員の幸せにつながるか疑問に思うことがよくあります。法律を厳密に守るがゆえに仕事が成り立たず、最終的には倒産してしまう可能性だってあるからです。本来、国は最終的には会社に労働者の雇用を守ってほしいはず。しかし、法律を厳しくしすぎて、社会保険料負担を会社に押し付け続ければ、廃業する会社だって出てきます。それでは、本末転倒です。
従業員は、収入が保障されている代わりに自由がありません。自由がないにもかかわらず、夢を見られるということは決して悪いことではないと私は思います。
求職者に会社が見せることができるのは、労働条件とやりがいです。経営学の世界に労働者が何に満足するかを示す『ハーズバーグの二要因理論』があります。それによると、収入や労働時間などの『労働条件』は不満の材料になっても満足の材料にはなりません。しかし、やりがいなどの『動機づけ』は不満の材料にはなりませんが、満足を与えられる要因になる可能性があります。労働条件で大手にかなわない零細企業は、夢とビジョンで勝負しないと話になりません」
ヤクザ映画の法律違反は問題にしないのになぜ「下町ロケット」を
――そういえば、私の知人が「日本人はヤクザ映画が大好きだ。しかし、誰もヤクザ映画を見て、主人公は法律違反だなどとヤボなことは言わない。それなのになぜ『下町ロケット』の法律違反を問題にするの?」と言っていました。
岩田さん「それは素晴らしい視点ですね。任侠映画の法律違反が問題にならず、『下町ロケット』の法律違反が問題になるのはなぜか。それは、任侠映画は荒唐無稽のフィクションだとわかっているけど、『下町ロケット』は非常にリアリティーがあり、こんな企業が現実にありそうだとみんなが思うからではないでしょうか。それだけドラマとして優れているということです。
法律の実務者の私が言うのもおかしいですが、法律が必ずしも現実に合わない場合もあります。たとえば、労働基準法は戦前の工場法を元にして作成されており、工場労働者に合わせて作られた面があります。今では二次産業(製造業)より三次産業(サービス業)に従事している人のほうが圧倒的に多く、労働基準法の考え方は現在の労働環境に合っていません。時代に合っていない法律を杓子定規に守ることが労働者の幸せにつながるかどうか疑問です。
もちろん、法律を破っても良いという話ではありません。現実と法律の折り合いをつけていくことが求められています。我々社労士は、杓子定規で考える役所とは違います。少なくとも私は、いかに法律を守りながらクライアントの仕事が円滑に行われるかをいつも考えながら仕事をしています。
――すると、どういう働き方が幸せにつながるのでしょうか。
岩田さん「イソップ寓話で『レンガ職人の話』があります。何を作っているのか? と問われたレンガ職人が、1人目は「(作業として)レンガを積んでいる」
と答え、2人目は「(稼ぐために)壁を作っている」と答え、3人目が「(使命として)後世に残る町の聖堂を作っている」と答えるというものです。
このレンガ職人のうち、誰が幸せに働けているかは明白です。どうせ仕事するなら、やりがいを持って働きたいものです。だから佃製作所のような会社が悪であるとは一概には言えないと思います。
そもそも、ブラックかブラックではないかという問いは、『ブラック企業』という言葉をどう定義をするかによっても結論が変わってきます。ブラックかブラックじゃないかの二元論で考えるより、はるかに大切なのは、会社も従業員も幸せであることです。法律を持ち出して権利を主張するよりも、労使ともに幸せになれる方法をみんなで一緒に模索していきませんか」
(福田和郎)