2018年11月に突然、世間を驚かせた日産自動車のカルロス・ゴーン前CEO逮捕、更迭の事件は、有罪か無罪かいまだに先行きが不透明な状況ではあります。
しかし、有罪、無罪いずれの判断が下されるかに関わりなく、社内調査資料を元に審議された同社の取締役会では、ゴーンCEOの出身母体であるルノーからの役員2名を含め満場一致で氏の代表取締役解任が決議されており、組織内において同氏による一定の「私物化」があったことは、ほぼ間違いないところなのだろうと断定できると思われます。
優秀なリーダーに必要な「資質」は2つ
事件発覚時に本連載で、ゴーン氏のようなサラリーマントップと一般的中小企業オーナー社長とでは、組織の私物化の意味合いが異なるということに触れました。
非常にわかりにくいのは、自身が実質的に会社の所有者であるオーナーでもないサラリーマン社長が、いったいどうして自分の所有物であるかのごとく私物化に走ってしまうのかということ。もちろん一言では、長期にわたる絶対権力者としての強い立場が、組織内のあらゆる権利を独り占めしたかのような感覚に陥り、私物化すらも許されるとの錯覚に落ち込んでしまうということなのでしょうが、そうなるには何がしかのキッカケがあるのではないかと思うのです。
年末年始にそんなことを考えていると、雑誌でそのヒントになりそうな原稿を見つけ興味深く読みました。その原稿の概要は、優秀な組織のリーダーであるためには、「リーダーシップ」と「フォロワーシップ」という異なる2つ資質が求められるというものでした。
「リーダーシップ」とはまさしく、リーダーの自覚を持ってチームや組織を先頭に立って引っ張る力のこと。一方の「フォロワーシップ」は、本来はリーダーに従属する者たちに求められるリーダーに対する忠誠や献身といった姿勢のことなのですが、これはリーダーにも同様に求められているのだと、筆者は記していました。
そして、リーダーは部下であるメンバーに対して、彼らがより円滑な活動ができるように、献身的にそれを支える気持ちを持って行動することが求められるのだというのです。
ゴーン氏が「日産の人間」だった「リバイバルプラン」
原稿では、昨年(2018年)スバルやKYBや日立化成で相次いだ不祥事について、各組織のリーダーの「フォロワーシップ」が本当に足りていたか、という問題提起がなされていました。
原稿が書かれたのが恐らくゴーン氏逮捕よりも前のことであったのでしょう。ゴーン氏について原稿が言及することはありませんでしたが、私は個人的にゴーン氏もまたリーダーとしての「リーダーシップ」と「フォロワーシップ」のバランスが崩れていたに違いないと思いました。
ゴーン氏の来日は1999年。当時、財政面から経営危機に立たされていた日産自動車にルノーからCOO(最高執行責任者。後にCEO)として乗り込み、リーダーとしてその再建に大ナタをふるい業績をV字回復させ、日本の企業経営史にその名を刻む名経営者とまで謳われました。
ゴーン氏が先頭に立って指揮を執った「日産リバイバルプラン」は、大幅なコスト削減を軸とした構造改革による再建策であったがゆえに、ゴーン氏は一般に「コストカッター」の代表格のように言われることが多いのです。
しかし、改革進行の裏には大ナタをふるう決断力、実行力に支えられた「リーダーシップ」とともに、「日産の人間として」くまなく現場を回って現場の声に耳を傾けつつ、「社員のコーチ役」とまで自ら公言してはばからないほどの「フォロワーシップ」を発揮していたのです。
「リーダーシップ」と「フォロワーシップ」の見事なバランスがあって、ゴーン氏は日産自動車V字復活の立役者たるリーダー足り得たのだと言っていいでしょう。
「ゴーン迷走」の分岐点
では、いつの段階から、ゴーン氏の「リーダーシップ」と「フォロワーシップ」のバランスは崩れ始めたのでしょうか――。2005年、ゴーン氏は日産着任時に退任したフランスのルノーでCEOに就任。日産自動車CEOと兼務するようになります。今回の逮捕をめぐる一連の新聞報道によれば、この2社のCEO兼務を境に、日産自動車では現場と疎遠になっていったとされています。欠かさず目を通してきていたという毎月実施される社員の声調査にも、まったく見向きもしなくなっていったというのです。
ゴーン氏の「リーダーシップ」先行、「フォロワーシップ」後退の傾向は、2社のCEO兼務を境に、明確に現れているのです。それが徐々に進行を続けることで、ゴーン氏は躊躇なく組織の私物化に突き進む、独裁的リーダーへと姿を変えてしまったのだろうと思えるのです。
私の経験から言わせていただければ、組織の大小を問わず周囲の手に負えないワンマン経営者は、現場から疎遠になり「フォロワーシップ」が失われた「リーダーシップ」先行状態になることで生まれてくるように思います。
そして、もしそんな状況に経営者自身が気付く瞬間があったら、それは紛れもなく自らが突きつけた引退勧告であると受け取る必要があるのではないかとも思うのです。
自らの引退という、リーダーから組織に向けられた最後の「フォロワーシップ」すら、遅れてしまうようであれば、組織は徐々に崩壊に向かうことになるということも、私が目の当たりにしてきた厳然たる事実なのです。
(大関暁夫)