「ゴーン迷走」の分岐点
では、いつの段階から、ゴーン氏の「リーダーシップ」と「フォロワーシップ」のバランスは崩れ始めたのでしょうか――。2005年、ゴーン氏は日産着任時に退任したフランスのルノーでCEOに就任。日産自動車CEOと兼務するようになります。今回の逮捕をめぐる一連の新聞報道によれば、この2社のCEO兼務を境に、日産自動車では現場と疎遠になっていったとされています。欠かさず目を通してきていたという毎月実施される社員の声調査にも、まったく見向きもしなくなっていったというのです。
ゴーン氏の「リーダーシップ」先行、「フォロワーシップ」後退の傾向は、2社のCEO兼務を境に、明確に現れているのです。それが徐々に進行を続けることで、ゴーン氏は躊躇なく組織の私物化に突き進む、独裁的リーダーへと姿を変えてしまったのだろうと思えるのです。
私の経験から言わせていただければ、組織の大小を問わず周囲の手に負えないワンマン経営者は、現場から疎遠になり「フォロワーシップ」が失われた「リーダーシップ」先行状態になることで生まれてくるように思います。
そして、もしそんな状況に経営者自身が気付く瞬間があったら、それは紛れもなく自らが突きつけた引退勧告であると受け取る必要があるのではないかとも思うのです。
自らの引退という、リーダーから組織に向けられた最後の「フォロワーシップ」すら、遅れてしまうようであれば、組織は徐々に崩壊に向かうことになるということも、私が目の当たりにしてきた厳然たる事実なのです。
(大関暁夫)