地域再建にかかわる人が肝に銘じなければならないこと
町役場のすぐ前から見下ろせることでもわかるように、中間貯蔵施設は人々が帰還を目指す「特定復興再生拠点区域」と接した地域にあります。これは一見奇妙なことです。51平方キロメートルという広さの町なかで5平方キロメートルの中間貯蔵施設をつくるのに、なぜ山のほうではなく住宅の多い町なかに建てなくてはいけないのでしょうか。
「山はここより線量が高いので、建設作業もできない。だから町の中間貯蔵施設も海側の地域につくらなくてはいけないとの説明を受けたことがあります」
もちろん山に建てるという選択肢がまったくなかったわけではないだろう、とHさんは推察します。しかし、山の持ち主から土地を買うこともまた容易ではないでしょう。さらに、その場合には木も伐り倒さなくてはいけません。
以前、田村市で林業を営む方にうかがった話ですが、山の木のサイクルは早くても20~30年。お山を手入れする人々は、そのタイムスパンで生きています。私のお会いした方も、
「20年後に人はいなくても、200年後にはまた住んでいるかもしれない」
と、言いながら林業を続けていました。そんな時の流れと共に暮らす方に、30年だけ山を使いたいから木を切らせてくれ、と説明して納得してもらえるでしょうか。
歴史のある町に住む人々にとって、土地は単なる財産や物理的なスペースではなく、歴史であり、人が暮らす匂いの染みついている生きた空間です。たとえ原発事故でもその歴史をなかったことにすることはできません。
そう考えれば、「土地を売る」という判断一つにも、歴史の数と同じだけの思いとこだわりがあるのでしょう。そして、それは「他の地域の復興が遅れるかもしれない」という理由だけで、ないがしろにしてはいけない領域だと思います。
もちろん、東京都内でマンション暮らしをしている私自身、その感覚を本当に理解はできていませんし、安易に理解できたかのようなそぶりをすることすら許されないと思います。ただ、土地を大切にする人々の気持ちを、単なる感傷や政治的判断の「障害物」として聞き流してはいけない。Hさんのお話を聞いて、強く感じました。
よそ者の私は、今、地肌の見えているこの工事現場に歴史を見ることはできません。それでも「帰還困難区域」と呼ばれる場所に歴史があったこと、これからも歴史があり続けることは、その地域の再建にかかわる人すべてが肝に銘じなくてはいけないと思います。(越智小枝)
地球温暖化対策への羅針盤となり、人と自然の調和が取れた環境社会づくりに貢献することを目指す。理事長は、小谷勝彦氏。