2018年8月に福島県楢葉町、いわき市で行われた廃炉フォーラムで、福島県と宮城県の高校生を招いた学生セッションが行われていた時のことです。
「意外に普通なんですね」
グループディスカッションを見ていたある東京の会社員が、ふとつぶやきました。
その意味するところをたずねると、
「地元の子どもたちは7年間被災者として暮らして、この地域の複雑さや難しさを知っているから、もっと我々とは違う発想がたくさん出てくるかと思った」とのことでした。
「普通に生きていきたい」子どもたち
一方、そこから少し離れたグループでは、会話にあまり加わっていない男子学生がいました。
「あまり意見を言っていないようだけど、何か考えはある?」
と司会者が水を向けたところ、その学生はひとこと答えました。
「別に。......普通に生きていればいいと思うので」
言葉だけ聞けば、反抗期特有の投げやりな態度ともとれます。しかしその学生の態度は特に反抗的なものも、ふてくされたものも一切感じず、それが何よりも印象的でした。
このセッションで出会ったこの2つの「普通」。それは、子どもに普通以上を期待する大人と、普通に暮らしたい若者の温度差という、どの社会にもある光景かもしれません。しかし、今の福島では、発想に行き詰った大人たちが「若者の新しい発想」を焦るあまりに、その温度差が広がりすぎている、という印象を受けます。
福島第一原発事故という事件を小さいころから肌身で感じていたことが、その経験をしていない人たちとは違う新しい発想につながるのでは。このような「地元」の「若者」に対する期待は、あちこちで見かけます。
その期待から若者にさまざまな機会を与えること自体は悪くありません。しかし、その過剰な期待により、福島の子どもが普通に扱われない、という事態は避けなくてはいけないと思います。
「有名人に会えるのはうれしいけど、そろそろ『普通』にしたい」
数年前に福島県の中学生や高校生からも聞いた言葉です。自分たちの生活がいつまでも困難やチャレンジの名のもとに扱われることを嫌う子どもの言葉を、当時はよく聞きました。
さらに年月が経った今の高校生は、小学生の頃からその環境を日常として過ごしてきた子どもたちです。自分は普通に過ごしているだけなのに、なぜ新しい発想を求められたり頑張りを求められたりしなくてはいけないのか。事あるごとに子どもに期待する大人たちを見て、もしかしたらそう思う子どももいるかもしれません。
沈黙する家族と自制する教育現場
「福島の子どもたち」が「フクシマ」を知っているのか――。
とりわけ私たちが認識しなくてはいけないことは、福島の子どもだからといって、社会問題としての「フクシマ」について詳しいわけではない、ということです。子どもの情報源のほとんどは家庭と学校、そしてマスコミです。そのいずれもが、当時の子どもたちに社会の複雑さを教えてはいませんでした。
私が相馬に住むようになった2013年頃、浜通りではママカフェ、パパカフェという活動が盛んに行われていました。これはお母さんやお父さんが、家族にも話すことのできない放射能に対する不安やその他のさまざまなストレスを語る場として設けられたものです。
「家族の中で放射能の話は喧嘩になるから禁忌。しゃべるのは外に出た時だけです」
「むしろ外のイベントで自分の子どもと会話する場を作ってほしい」
南相馬の親御さんたちに聞いた話ですが、これが多くのご家庭の実情だったのではないかと思います。
家庭という閉じた空間で放射能や原発というセンシティブな話をすることは、意見の対立による家族の分断を生みかねません。それがわかっているからこそ、親御さんは家庭の外で原発事故に伴うどんな難しい問題が生じても、それを家庭に持ち帰って話す、ということはなかったでしょう。
そして学校もまた、子どもたちに情報を与えていたとは言えません。学校で放射線についての授業を頼まれた時、原発の話は避けるのが当たり前でした。
さらに、
「がんという言葉やがんの写真はショックを受けるかもしれないので避けてほしい」
「『死ぬ』という表現を『生きる』という表現に書き換えられないか」
そんな要望も聞かれました。
子どもに気を遣いすぎて、貴重な教育の機会を失ってしまうのではないか。当時過剰に口を閉ざす大人たちを見て、じつは内心そう感じていました。
私のその考えが変わったのは、2015年、福島県内の国道6号線沿いの清掃活動が5年ぶりに再開された時の騒動を見てからのことです。
「子どもがセシウムを吸い込む『被ばくイベント』」
「放射能に汚された福島『6国』清掃活動」
などと報道され、関係者が口撃の対象とされたことは記憶に新しい方もいると思います。しかし、当時ジャーナリストを名乗る人々が、ボランティアに参加した高校生たちを執拗に追いかけたこと、さらに関係のない学生や教師にまでインタビューを求める騒ぎとなったことは、あまり知られていません。その影響もあり、翌年の清掃ボランティアでは高校生の参加者が激減したといいます。
目立つ行動をすれば放射能やフクシマに対する激しいバッシングの矢面に立たされる。そんななか、子どもたちが不用意な発言でいじめられることのないよう、大人は最大限の気を遣わざるを得なかったのではないでしょうか。
この地域の複雑さや難しさについて子どもたちが一番敏感に感じとったのは、その「自粛」の空気であったのではないかと思います。
さて、今の福島はその3年前に比べて子どもたちを社会の口撃から守れるだけの土台が十分作られたでしょうか? 私はそうは思いません。そんな環境で、少なくとも公衆の目前で新しい、とがった発想を求めることは、まだ性急に過ぎるかもしれないのです。
このような社会の整備も含め、大人は子どもにイノベーションを期待するだけの責任を果たしているのか。私たちはそれを反省すべき時に来ていると思います。
20世紀末にあった、その先の未来と福島
今の福島の若者への期待を見ていて、ふと思い出すのは20世紀末の学校教育です。私自身、小学生の頃からことあるごとに
「君たちは21世紀を担うのだから」
「21世紀を生きる君たちは〇〇しなければ」
と言われて育ちました。
しかし、数年後に迫った21世紀にも生きているであろう大人たちが他人事のように小学生に期待をかける様は、子供心にも滑稽であったことを覚えています。その20世紀末と同じことを今、私たちは「福島の子ども」にしてはいないでしょうか。
いくら珍しい体験であったとしても、それは当事者にとっては「日常」です。若者のイノベーションに期待するあまり、「君たちは普通とは違う」と教えることは間違っています。また、「普通にしていればよい」「普通にしていたい」という子どもたちを無理やり舞台に引きずり出すことも避けなくてはいけないと思います。
当たり前のことですが、体験と発想は、決して直線関係にはありません。つらい体験をしたから、すぐに深い意見が言えるようになる。珍しい体験をしたから、新しい発想が生まれる。体験とはそんな単純なものではないと思います。
長い人生の中で、何かをきっかけにその日常を振り返ったとき、自分の価値観が何の上に立っているのかに気づく。経験とはそういうものではないでしょうか。福島の経験が今の福島で、廃炉現場で、花咲かなくてはいけない理由はないのです。
ただし、そんな私の思惑もまた、子どもたちにとってはつまらない大人の理屈なのかもしれません。なぜなら子どもたちはすでに、福島を歴史として振り返ることを始めているからです。
「福島のことについて初めて知ることも多かった」
「廃炉が何十年も続くのだから、自分たちの代が福島のことを知らなければいけないと思った」
「廃炉の技術を通して、福島を世界一へ」
前述のセッションで驚いたことは、学生が非常に客観的に福島を見ている、ということでした。
大人にとってはまだ記憶に新しい現地の体験も、過去の歴史として素直におもしろいと感じることができる。もしかしたら、それこそが子どもという生き物の強さなのかもしれません。
この7年余りの福島で、過去の普通を守り、新しい普通を探り、そして外部から押し付けられる普通と戦ってきた大人の記録。その故きを温ねる若者の旅は、まだ始まったばかりです。その旅が花咲くのは50年後であっても、福島の外の出来事であっても構わない。私はそう思います。
そして、その時を夢見させてもらいながら、今、重厚で愉快な歴史を編むことこそが、私たち大人の役割なのではないでしょうか。(越智小枝)
地球温暖化対策への羅針盤となり、人と自然の調和が取れた環境社会づくりに貢献することを目指す。理事長は、小谷勝彦氏。