毎年12月の「歳末たすけあい運動」を前に、わが団地の自治会から「募金にご協力を」と題した回覧板が回ってきた。自治会ではほぼ10世帯がひとつのグループになっていて、回覧板はそのグループごとに回っている。
募金の趣旨は「歳末にあたり、支援を必要とする人が、地域で安心して暮らすことができるよう、隣人愛と思いやりの心をもって援助活動をするものです」とのこと。反対する理由はまったくない。募金を入れる封筒もついている。
歳末助け合い運動にご協力を!
封筒には「この募金は強制ではありません」と断ったうえで、「住所、氏名、金額」を記す欄がある。ただし、氏名などを書くかどうかは自由とのこと。しかし、僕のところに来るまでにすでに数世帯を回ってきたようで、どれにも住所、氏名と「300円」という金額が書かれている。僕もそれに倣い、回覧板を隣の家に回した。
でも、なんだか気持ちがすっきりしない。「赤い羽根」などのときも同じだった。強制ではないと言いながら、半分は強制されている感じがする。もし、募金しなかったら、それがどこかから漏れて、近所で悪口の対象にもなりかねない。300円くらいなら、募金しておいたほうが無難だ。
いささか情けないが、そんな気持ちになってしまう。
地域によって、募金の集め方はいろいろだろう。僕は埼玉県に住んでいるが、神奈川県在住の知人に聞いたら、募金を呼びかける封筒は回ってくるけど、募金したい人はおカネを直接、グループの責任者の郵便受けに放り込んでおくそうだ。「そんな封筒、見たこともない」と言う千葉県在住の知人もいた。
皆さんがお住まいの地域の自治会・町内会ではどうだろうか。おおむね、わが自治会と似たやり方が多いのではないだろうか。
募金を集めるほうとしては、こんなやり方が一番、効率的かもしれない。ネットを見ていたら、「相場はいくらぐらい?」との相談が結構あった。悩んでいる人も少なくないようだ。
募金は自主的にやってこそ意味がある
しかし、そもそも「募金」というものは、人々が自主的にやるところに意味がある。それなのに、「強制ではありません」と言いながら、強制の臭いが漂うようでは、募金の名に値しない。陰湿な感じもする。だから、募金の趣旨には賛成だが、半強制はイヤだ――。そんな気持ちの人が多いはずだ。
英国で何年か暮らした知人によると、知人が住んでいた地域では、封筒を回すような集め方はしないが、学校や教会でイベントがあると、すべからく助け合いのための募金の場が設けられる。
金額はもちろん任意で、募金すると、クッキーやケーキが振る舞われたそうだ。僕にはこんなやり方のほうがすっきりしている感じがする。(岩城元)