石川県の伝統的な焼き物、九谷焼を見に行ってきた。美術館の特別展で、「東北・北海道に渡った九谷焼」という企画だ。
参考:石川県九谷焼美術館
江戸から明治の時代にかけて、石川県では、船乗りたちが「北前船」という交易船に乗り、北海道と大阪を行き来して日本経済を支えた。北の海産物を、「天下の台所」と呼ばれた大阪で売りさばく。それはそれは儲かったそうで、船主の中には、加賀藩の財政難を救うほどの豪商もいたという。
日本海側の美術遺産
北前船は日本遺産に指定されているが、その功績は海産物を運んだだけでない。
船乗りたちは石川県の九谷焼を、東北や北海道に「輸出」したのである。だから日本海側の新潟や山形、海を渡った函館や小樽には、今も個人で九谷焼を所蔵している家があるらしい。
日本海側の旧家に点々と散らばった、江戸時代の九谷焼。今回はその、新潟から北海道に至る24か所で眠っていた焼き物が、石川の美術館に再び集められたというわけだ。
世紀を超えて、生まれ故郷に戻ってきた九谷焼。なんだか壮大な歴史を感じる......!
「今回の企画展では、学芸員さんがものすごい苦労をしたんですよ」と言うのは、解説ボランティアのNさん(60代)だ。
もともと石川県の伝統芸術品。いくら北前船で北方へ運ばれたといっても、日本海沿岸を北海道へと至る航路は何百キロにもなる。広大なエリアの、どこの個人が九谷焼を所蔵しているのか、どこの美術館に寄贈されているのか、当初はほとんど、わからなかったらしい。
わずか2名の学芸員は、まず新潟や東北からヒアリング調査を始めた。
「どこに眠っているなんてわかりませんから、九谷焼を所蔵している個人や美術館を訪ねて聞くんです。『他に石川県産の焼き物を持っているお宅は知りませんか?』って。すると、『あの家にもあったかもしれない』とか、『そういえば○○市の??さんが持っていると聞いた』と教えてくれる。そうやって1品1品、人づてに見つけていったんですよ」(解説ボランティアのNさん)
細い糸をたどるようにして集めたコレクション
何でもネットで調べれば出てくるこの時代、北へ北へと人づてに、細い糸をたどるようにして展示品を集める苦労は計り知れない。昨シーズン(2017年)の冬は大雪だった。北の雪道をクルマで走るのは、さぞかし大変だったろう。
でも、「雪道より苦労したのは、こういう個人蔵の展示品を貸してもらう交渉ですね」。そう言ってNさんが指さした先には、50センチはあろうかという大皿が。鮮やかな深緑で、松を描いた大胆な構図が素晴らしい。
「個人のコレクターの多くは、作品を隠したがるというか、展示に出すのを嫌がるんですよ。『目垢がつく』といってね、自分だけが見て楽しみたいので、家からは絶対に出さないと言う方もおられるんです」(Nさん)
め、目垢がつく!?
恥ずかしながら初耳だ。ご自慢のコレクションなら、見せびらかしたいのではなかろうか。私だったら、ブランド品を買えば持ち歩きたいし、美術品が家にあったら、友人知人を招いてドンチャン騒ぎの自慢大会をするだろう。
「いやいや、逆なんですよ。一部のコレクターにとって、作品は自分が眺めて楽しむため『だけ』のもの。人目にさらすなんてもってのほか、ましてや美術館で多くの人に見られるなんて、絶対にイヤだというのが普通なんです」(Nさん)
今回の大皿は、学芸員さんたちが頭を下げ、ようやく展示に至ったという。
「所蔵されていた方からは、『一生に一度だよ』と言われたので、もうこの大皿を見るチャンスは二度とないでしょうね」(Nさん)
一生に一度だと思うと、鑑賞にも力が入る。ただ、持ち主の気持ちはさっぱりわからない。なぜ、見せびらかしたくないのか。
そういえば1990年、ゴッホの名画を約125億円で落札した日本人経営者が、「死んだら棺桶に入れて焼いてくれ」と言って世界中の顰蹙を買った。多くのアートコレクターが彼を非難したが、名作を「自分だけが眺めていたい」と感じるのはよくあることらしい。
世界中の人々が「見たい!」と欲望する作品を、独り占めする優越感。それは、一般人の想像もつかないレベルで強烈なのだろう。名画と1対1で向き合うとき、コレクターはこの上ない多幸感にひたる。
世界中でたった一人、自分だけがこの名画を鑑賞できる。まさに、世界中の欲望を独り占めしたような気分。なんて贅沢なんだ。
まあ、確かに贅沢ではあるが、やっぱり私は自慢したい。
せめてインスタに載せるなんてのはどうでしょう...... って、美術品のアウラが失われるから、もっと批判されるかな......。(北条かや)