京都大学の本庶佑(ほんじょ・たすく)特別教授のノーベル医学生理学賞受賞に列島が涌いた2018年10月。米大リーグでは大谷翔平選手が異次元の活躍ぶりで「新人賞当確」とますます評価が高まり、南半球のオーストラリアではサッカーの本田圭佑選手がデビュー戦を初ゴールで飾りました。
ビル・ゲイツからノーベル平和賞受賞者まで、人々の心に響いた珠玉のことばを英語でどうぞ。
僕はmagicなんて持っていない
まずは、南半球のオーストラリアに活躍の場を移した本田圭佑選手から。
サッカー・オーストラリア1部リーグ(Aリーグ)のメルボルン・ビクトリーに移籍した本田選手。なんと、開幕戦でいきなり初ゴールを決めて、衝撃的なデビューを飾りました。
名門ACミランを経て入団したメキシコ1部パチューカを昨季限りで退団。W杯後の新たなプレーの場としてオーストラリアを選んだ本田選手でしたが、試合前の記者会見ではこう語っていました。
I don't have any magic.
(僕は、魔法なんて持っていない)
I just have to do my best every day, not only training, eating, sleeping ... and communicate with the team.
(だから、毎日、ベストを尽くさなければいけないんだ。トレーニングだけじゃなくて、食事も睡眠も、そしてチームメイトとのコミュニケーションも)
本田選手のすごいところは、すべて英語で記者会見をしていることです!
現地の記者からの質問を聞き取り、きちんと英語で当意即妙な対応をする。海千山千のメディアを相手に、なかなかできることではありません。
「魔法」は持っていなくても「人一倍努力できる自分」を信じている。「Keisuke Honda」として世界に挑戦し続ける本田選手に、心の底から敬意を表します。
ビル・ゲイツの「人生を変えた男」
ノルウェーのノーベル賞委員会は、2018年のノーベル平和賞を性暴力被害者の救済に取り組んできたコンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ医師と、過激派組織「イスラム国」(IS)に性的暴行を受けた体験を語ってきた女性活動家のナディア・ムラド氏に授与すると発表しました。
若干25歳のムラド氏は、ISに拘束されていた約3か月の間、「性奴隷」として繰り返し、暴力を受けたと言います。「いっそ、殺してくれ」と懇願するほどの壮絶な体験を経ての受賞に、こうコメントしました。
The novel prize is dedicated to people who worked for and tried for peace in the world
(ノーベル賞は、世界の平和のために働いてきた人に贈られるもの)
Now I feel a huge responsibility
(今、とても大きな責任を感じる)
I wish the world would let women feel safe
(もっと女性が安心できる世界になることを願う)
米マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏が、悪性リンパ種で死去しました。65歳でした。約50年前にシアトルの中高一貫校で3学年上のアレン氏と出会い、共にマイクロソフトを創業したビル・ゲイツ氏。学生時代に、一緒に授業を抜け出してはコンピューターをいじくっていたエピソードを紹介し、アレン氏によって人生が変えられたことを明かしました。
1974年のある日、アレン氏が「Altair 8800」という最新コンピューターを紹介する記事を見せながらこう言ったそうです。
This is happening without us!
(俺たち抜きで、やられたよ)
そして、その瞬間にゲイツ氏の人生が大きく変わりました。
That moment marked the end of my college career and the beginning of our new company
(その瞬間、私の大学生活が終わりを告げ、そして我々の新しい会社が始まったんだ)
ゲイツ氏は、米紙ワシントンポストに寄せた追悼文で、アラン氏に次のメッセージを送りました。
Paul deserved more time in life.
(ポールはもっと長く生きるのにふさわしい人だった)
He would have made the most of it
(彼は、人生を思う存分楽しんだだろう)
I will miss him tremendously
(彼がいなくなって、途方もなくさびしい)
「ワシントンポスト紙を選んでくれてありがとう」
サウジアラビア人ジャーナリスト、ジャマル・カショギ氏が、トルコのサウジアラビア総領事館に入った後に行方不明となり、その後殺害されたというニュースが世界中を震撼させました。
かねてからサウジアラビア政府に批判的な記事を書いていたとされるカショギ氏。絶筆となった未掲載のコラムが、米紙Washington Postのオンライン版で公開されました。
コラムのタイトルは「What the Arab world needs most is free expression」(アラブ世界に最も必要なのは表現の自由だ)。カショギ氏の失踪直前に書かれたもので、中東における報道の自由を主張する内容でした。
ワシントンポスト紙の編集者、カレン・アティア氏は、失踪の翌日に翻訳者から原稿を受け取ったものの、再びカショギ氏と連絡が取れる可能性を信じて掲載を見合わせていたそうです。コラムの前文で編集者が吐露した想いに、思わず心を打たれました。
This column perfectly captures his commitment and passion for freedom in the Arab world.
(このコラムは、アラブ世界の自由にかける彼の貢献と熱意をカンペキにあらわしている)
A freedom he apparently gave his life for.
(彼が、生命を捧げた自由を)
I will be forever grateful he chose The Post as his final journalistic home one year ago and gave us the chance to work together.
(彼が、最後の報道の場としてポストを選んでくれたことと、共に働く機会を与えてくれたことに、永遠に感謝する)
(井津川倫子)