ここ数年、新聞を賑わせることが多い、業績向上に気を奪われるあまりの不祥事報道の数々。過去の不祥事にフタをし続けて、長年決算をごまかしていた光学機器メーカーのオリンパス。チャレンジの大号令の下、不正会計に手を染めた東芝。最近では、本来資金の出し手として企業の業績を厳しく監視する役回りであるハズの銀行までもが不祥事にまみれています。
大量の書類改ざんによる不適切融資が明るみに出たスルガ銀行。不適切な融資手数料の徴収を組織ぐるみで行っていた東日本銀行。これら以外にも似たような事例を一つひとつ挙げていたらキリがないほど、世の中に「業績追求型」の不祥事が蔓延しています。
「売り上げ、売り上げ!」と騒がなくても利益が上がった時代
思い起こしてみれば、世の中そのものが鷹揚であったということもありますが、この類の不祥事はイケイケドンドンの高度成長期には、ほとんど聞こえてくることがなかったように思えます。
なぜかと言えば、戦後復興の流れの中で基本は右肩上がりの経済成長を続け、極論すれば何をやっても、たいていは儲かる。モノは作れば売れる。サービスは始めれば利用者がいる。そんな恵まれた時代背景があったからなのかもしれません。
経営者が声を大にして「売り上げ、売り上げ!」「利益、利益!」と騒がなくとも、自然と売り上げは伸びて利益は上がる、そんないい時代であったとも言えるでしょう。
それが、バブル期ぐらいまでは右肩上がりの上がり方こそ緩くはなりながらも続いてきて、バブル景気はその最後の打ち上げ花火であったように思えます。
そして、訪れた低成長時代。戦後復興の延長線という特殊要因に支えられた今までが普通ではなく、この状態がむしろ正常なのだと気がつくのにバブル崩壊から恐らく10年はかかったかもしれません。
過去は普通にやっていれば、売り上げは上がる、収益もそれなりについてくる。ところが、バブル崩壊後は工夫をしないと売り上げは上がらない、収益を上げるということはさらに厳しい。
そんなことに気がついた企業経営者たちは、一斉に「売り上げ、売り上げ!」「利益、利益!」と騒ぎ出したのです。
成果主義でなりふり構わず稼ぐサラリーマン
その一方で、年功序列制が廃止され、成果主義が当たり前になったサラリーマンたちは、至上命令に追い込まれ、なりふり構わず稼がなくては自分の地位が危ないと、危ない橋も渡らざるを得ない状況になります。
そんな流れが、冒頭のような「収益追求型不祥事」を経済界に蔓延させたと言えるのではないでしょうか。一体どこで何をどう間違えてしまったのでしょう。どのような方向修正をはかれば、増発する企業不祥事を減らすことができるのでしょうか。
最近目にした、東京海上ホールディングスの永野毅社長のインタビュー記事に興味深い話がありました。
高知県育ちで高校時代水泳部員だった永野氏は、競泳でも遠泳部門に所属していました。競泳部門は、長くとも数百メートルの距離でタイムを競ういわゆるレース部門。対して遠泳部門はあくまで数キロの距離を微妙な駆け引きをしながら先に目的地に到達することを競うという競技です。
タイムは二の次です。さらに競泳競技にない特徴として、相手もなく海峡を渡るとか岸から島をめざすとか、自らに試練を課してその達成に向かう、言ってみれば特定の山の登頂をめざしてただひたすら登る山岳部とも共通する目的地到達に向かう競技でもあるのです。
永野氏はそんな遠泳競技から、今の企業経営に活きる大切なことを学んだといいます。
「競泳部門はタイムを縮めて選手権に出る。そこでまたタイムを競って優勝を目指す競技です。遠泳は違います。競争相手がいようといまいと困難なチャレンジを自らに課して、それを目的としてひたすら泳ぎ続ける。なんで俺たちはバカみたいに泳ぎ続けているのだろう、という疑問を持ちながらも目的を達成することの喜びを感じて、また次なる目的に向かう。その繰り返しです。そんな競技の中から身につけた自然と目的を確認するクセが、今に役立っていると思っています」
「目的を理解していれば必ず正しい売り方ができる」
目標と目的の違い。競泳におけるタイムは目標、遠泳における到達先は目的地です。遠泳は競争相手に勝つという目標も大切でありながら、目的地に到達するという本来の目的を忘れては競技にならないという点に、永野氏の大きな学びがあったのでしょう。
「保険会社も数字ばかりを意識するようになってしまえば、不祥事を起こしたり売らなくていいものを売ったりすることになります。困っている人のところに早く駆けつけて保険金を支払い安心してもらう、という保険会社本来の目的を理解していれば必ず正しい売り方ができるわけです」
目標に追い立てられ不祥事に追い込まれた多くの企業には、耳の痛いことでしょう。企業規模にかかわらず、常に自社事業の目的はなんであったか、社員が常にそれを忘れずに日々の業務に邁進すること、それが不祥事を未然に防ぐ一番の方策なのかもしれません。(大関暁夫)