預金引き出し、「権限」のある、なしが「争続」の分かれ道
次に、この長男夫婦は善意で父親の介護をしており、父親の財産も管理していました。もちろん、父親が認知症になる前に、父親から権限を授与されて管理していたというのであれば問題はありません。しかし、父親から財産管理の権限を授与されずに預金を引き出していたのだとすれば、無権限で預金を使ってしまったこと(費消)になりますし、認知症が進行した後に引き下ろしたとすれば、前述のような不当利得返還の問題が生ずることになります。
このような事案の場合、真に父親のために使用したことが証明できるときは、実際には不当利得返還を請求されないで済むこともあります。
ただ、現実には認知症の親の介護をしているときに、帳簿をつけたり、領収書を管理したりと、出入金を明確にしていないことが多いでしょう。
そうなると、後日、紛争になったときに、真に父親のために支出したということが証明できず、その金額については使途不明金として不当利得返還請求を受けてしまうという残念なケースもあり得るのが現実です。
仮に3000万円の支出のうち、1000万円の使途が証明できない場合には、法律的には、父親は生前に長男に対して1000万円の不当利得返還請求権を有していたと評価されることになり、この請求権を長男と次男がそれぞれ2分の1ずつを相続し、次男は長男に対して500万円ずつの不当利得返還請求をすることができることになります(なお、長男も、長男に対する500万円の不当利得返還請求権を相続しますが、債権者の地位と債務者の地位を併有することになり混同により消滅することになります)。
今回の事例は、認知症の父親の存命中に何らの対策もしていなかったことから起こった悲劇ということができます。
このように何らの対策もしないのでは、壮絶な相続争いは避けられません。このケースはわかりやすく説明するため、大変シンプルにしていますが、現実の事例では、事案はもっと複雑化し、金額もとてつもない額となり、会社が倒産してしまうというケースもあるのです。
こうした事態にならないためには、後日、裁判になっても証明できるような証拠を残すこと、後見制度を利用すること、民事信託制度を利用することなど、さまざまな方法が考えられます。適時に適切な対応をしていくことが重要ですから、早いうちから弁護士によく相談することが不可欠といえるでしょう。(湊信明)
湊総合法律事務所所長。1998年弁護士登録(東京弁護士会)。約200の会社と顧問契約を締結して、中堅・中小企業に対する法務支援を中心に弁護士業務を行うほか、企業の社外取締役や社外監査役、学校法人の監事などにも就任。企業や組織の運営にも携わっている。
「濁流に棹さして清節を持す」がモットー。
2015年度、東京弁護士会副会長。関東弁護士会連合会常務理事。2017年度、東京弁護士会中小企業法律支援センター本部長代行など。
主な著書に、「勝利する企業法務 ~実践的弁護士活用法―法務戦術はゴールから逆算せよ!」(レクシスネクシス・ジャパン)「小説で学ぶクリニックの事業承継 ―ある院長のラストレター」(中外医学社)「伸びる中堅・中小企業のためのCSR実践法」(第一法規)などがある。