8月15日は「終戦の日」である。日本武道館(東京都千代田区)では天皇、皇后両陛下も出席して毎年、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行われる。今年、2018年は73回目の終戦の日だった。
でも、なぜ「敗戦の日」ではないのだろうか――。
「敗戦」と「終戦」 印象の違い
「太平洋戦争」で、日本は米国などの連合国に対して「無条件降伏」した。日本は1945年3月10日の米軍による東京大空襲によって、一晩で約10万人が殺され、その後も相次ぐ空襲で多くの都市が焦土となった。沖縄は占領された。揚げ句に8月6日は広島に、9日には長崎に原子爆弾を落とされた。
まさに、万策尽きて無条件降伏した。文句のつけようのない「敗戦」である。だが、敗戦ではなく「終戦」と言い習わされてきた。国民もそうだが、政府も潔く敗戦とは言いたがらない。その裏にはいろんな思惑も働いているようだ。
「敗戦」と言うのと、「終戦」と言うのとでは、随分と印象が違う。終戦では戦争に勝ったのか負けたのか、どちらか分からない。戦争の結果についての価値判断がない。おかげで、その責任も追及できない。責任の所在があいまいになってしまう。それを望んでいる人たちも多いのだろう。
まず勝つ見込みのない戦争に突入したのは1941年、東条英機内閣のときである。重要閣僚の商工大臣には、安倍晋三首相の祖父である岸信介氏が名を連ねていた。同氏は戦後、連合国によってA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所に入れられたが、やがては政界に復帰し、早くも1957年には首相になった。
もし、無条件降伏を終戦ではなく敗戦だと国民が言い続けていたら、開戦の責任者の一人である岸信介氏の運命も違っていたのではないか――。当然、安倍晋三氏の運命にも影響していたのではないだろうか。