久美子社長を「暴走」させたエリート意識
それらに加えて、私は久美子社長が戦略を読み違えた大きなポイントとして、勝久氏の完全排除という問題があったように思っています。勝久氏は創業者であり、定時制高校を卒業後、実家の桐箪笥製造業から独立して家具販売業を立ち上げ、ジャスダック上場の企業にまで成長させた立志伝中の人物です。
会員制を導入し、来店客に接待係が付いて回ることでコンサルティング的な総合アドバイスを通じて家具のまとめ買いを促す、というそれまで他社に類を見ない戦略で業績を拡大し続けてきたのです。
もちろん、勝久氏のやり方は時代の流れとともに見直しが必要な時期に来ていたのは、明らかな事実であったでしょう。
しかし、勝久氏は言ってみれば生きた「社史」そのものです。そこに敬意を払うことなく切り捨ててしまった久美子社長は、事業承継型企業経営者が押さえるべき、最も重要な要素のひとつを自ら手放してしまったことになるのです。
では、なぜそんなに重要なものをいとも簡単に手放してしまったのか――。広く2代目、3代目経営者のみなさまに参考になるポイントでもあるので、この点にも言及しておきます。
久美子社長にみる創業者排除の大きな原因として、2代目、3代目にありがちな「独自路線」への創造欲を見ることができます。すなわち、事業を立ち上げそれを大きく成長させてきた創業者に対する対抗意識が、独自路線創造欲としてそれを引き継ぐ者には現れがちなのです。
さらに悪いことに久美子社長は一橋大学卒業後、富士銀行勤務を経て当社に入るという、社会的超エリートであったことが拍車をかけたと言えます。エリート後継者が叩き上げ創業者への対抗意識から、理論的に整理された机上論をかざして過去を否定し新路線を突っ走る、そんな後継戦略が一敗地にまみれる姿を、私は現実に多数目にしています。