映画、愛してますか?
映画の内容では「待望の感動作」というのが気にかかる。私たち観客に断りもなく勝手に「感動作」とは押しつけがましいが、「待望」もおかしくはないか。「待望の映画化」というのも見かける。
「紋切型社会」(武田砂鉄著)という、ちょっとユニークな本がある。著者が以前、出版社で編集者をしていたとき、ある単行本を文庫本にするにあたって「待望の文庫化!」という帯文を書いた。帯文とは書籍の腰のあたりに巻いてある帯状のものに書く文のことである。
すると、上司から「いったい誰が待望しているのか」と問われ、返答に窮したそうだ。すでに単行本で買った人は文庫化を待望していない。単行本は高いから買わない、文庫本なら買ってもいいと思っている人も、待望していたとまでは言えない。
つまり、「待望の映画化」も含めて、この場合の「待望」は紋切型の表現である。ハリウッド映画の広告にときどき出てくる「全米が泣いた」「世界中が絶賛した」についても、同じことが言える。
こんな紋切型の誇大広告ばかりを見せられていると、どの映画がいいのか、分からなくなってしまう。映画関係者が本当に映画を愛しているのなら、広告にももう少し誠実に取り組んでほしいのである。(岩城元)