社史編纂担当というと、昔から業務としては窓際族の代表のように言われてきました。緊急性を必要としない、業務そのものからは利益を上げない、ある意味で誰にでもできる等々がその理由であるわけですが......。
そんな社史ですが、これがじつは使いようで意外な経営資源になるというお話をご紹介します。
口うるさくてたまらない「父」
半世紀以上にわたり順調な成長を続ける、工場設備設計・施工業のI社。2代目の現会長によって、外から嫌々呼び戻された次男で、私と旧知の仲でもある3代目N社長へのバトンタッチに際して、N社長から組織運営のアドバイザリーをして欲しいと依頼された時の話です。
新社長就任から半年。彼の要望のひとつには、目の上のたんコブ状態になっている会長の完全リタイアの背中を押して欲しい、というものがありました。その願いの裏側にあるのは、自身が考えている新規事業への着手を会長に邪魔されたくない、という思惑でもありました。
「とにかく会長は仕事に『父』としての顔を出しすぎるのですよ。二言目には『お前は何も分かっていない』です。私は右も左も分からない子供じゃないんです。大手企業でそれなりの経験も積んできています。好きなようにやっていいというから、私は一部上場企業の管理職の収入と、出世の夢を捨てて家業に入ったわけです。
それが戻ってみれば、箸の上げ下げまでいちいちうるさく言われるわけで、これじゃ自分が温めているIT系の新規事業にだって手をつけられやしません。頭ごなしに反対されるのは目に見えています。もう私にバトンを渡した段階で、早いところ隠居して欲しいですよ。ある種の老害ですね」
当の会長はといえば、週に3日程度出社して、カタチのうえでは日常業務にはあれこれ口は出さないものの、会議には必ず同席して事あるごとにN社長の新方針に異を唱えるのだと言います。
会長はN社長のことをどう見ているのか、反対の異を唱える真意はどこにあるのか。私はまず相対で膝を詰めて会長の話を聞くことにしました。
先人に学ぶ
会長室に入り、向き合って話を始めると、真っ先に私に見せたものは、自身がまとめた実父の創業に始まる手書きの社史でした。
「私は常に父の創業精神を肝に銘じ、社員にもそれを浸透させて会社を成長させてきました。Nが新規事業をやりたくて私を煙たくに思っているのは知っています。事業の詳しい内容は知りませんが、今のままではきっと失敗します。
何かを手がける時に、先人に学ぶ精神を忘れてはいけません。一歩を踏み出す前に、社長と社員に会社の歴史に学ぶ機会を是非つくってください。私は今のままでは、創業者である私の父に対しても申し訳が立たず、とてもとても引退などできません」。
手書きの社史は、戦前満州での創業に始まり、終戦後内地に戻って祖父と父が試行錯誤の末、事業を築く流れを時系列に沿って書かれたものです。そしてそれは、手書きの迫力と共に会長の語り口が読み手の心に直接届く、じつに感動的な読み物でした。
会長の説得役だったはずの私は、鬼気迫る会長のお話を聞き、この手書きの社史を読み、逆に社長説得役に変わるという流れに至りました。
N社長に手書きの社史を手渡すと、「会長が出社する、と日々書いている過去の備忘録ですね。社史を作りたいようなので、会長の最後の仕事にしてもいいとは思っています」とそっけない対応を見せました。私は会長から聞いた話と手書き社史で読んだいくつかのエピソードを伝えて、とにかく社史をじっくり読んでよく考えて欲しいと話しました。
社史の重み
翌週、N社長に会うと、神妙な顔つきでこんな話を切り出しました。
「私は元々家業に無関心だったので、会長の手書き社史に書かれた内容は知らないことばかりでした。祖父が崇高な思いで事業を始めた話、命からがら満州から子供だった父を連れて日本に戻った話、戦後無一文からの再出発を支えたのも日本もものづくりでの戦後復興を支援したいという思いだった話......。
会長の口癖である『お前は何もわかっていない』という言葉が、はじめて身にしみました。無理やり家業に引き釣り込まれて、一からまったく違う会社につくり変える気でいた私ですが、それは違うと反省しました」。
N社長はこの一件の後しばらくして、ちょうどI社が創立80周年迎えるのを機に、手書き社史を印刷物にして全社員に配布し、周年行事として歴史を学ぶパーティーを開催して社員全員で自社の歴史の重みを共有しました。
「私だけじゃなく、おそらく社員一人ひとりも詳しくは知らないであろう自社の誇るべき歴史を知って自信をもってもらい、これからの行動指針として欲しいと思いました」
あれから数年が経ちました......。
新規事業は社長の独断ではなく、会長はじめ社員に意見も求めつつ創業の精神の下で立ち上がり、全社員の理解と努力によって順調に軌道に乗っています。たかが歴史、されど歴史。自社の歴史は、社長自らがしっかり理解し社員と共有して欲しい、隠れた経営資源なのです。(大関暁夫)