がれきの山にも踏み出せる力
昨年避難指示が解除された浪江町で元々介護施設をされていたというMさんも60代。施設の裏で育てた野菜や鶏で100人ほどの入所者の食事を賄っていたそうです。原発事故の後、入所者は全員避難し、畑も汚染されました。
「夏先に一次帰宅したら、放置していた野菜がみんな花になっちゃってた。でもそれが綺麗でね。本当は一時停止禁止の場所なのに、みんな車を降りて見に来てました。それで『花なら作れるのでは』と思ったんです」
ただの花ではなく売れる花を作ろう、と、長野で1年研修を受け、1本500円以上で売れるという高級花卉の栽培を始めました。
「花卉のいいところは、夜の作業が少ないこと。若者はここに住まなくても、車で通勤して、稼いでくれればいい。稼げれば人は集まる」
今の目標は年商1億円。目算は十分にある、と、胸を張られます。「働き方改革」という流行語も、Mさんの前では霞んで見えました。
被災地に若者が帰らない。今でも多くの人が、その悩みを抱えて若者にとっての魅力的な街づくりのために尽力されています。しかし、真っ先に帰還された方々にお会いしていると、今までの被災地は若者にとって魅力がないのではなく、若者には帰還するだけの能力が足りなかったという側面もあるのではないか、と思わされます。
東日本大震災と原発事故によって失われた街は、若者が夢を描けるような「白いキャンパス」ではありませんでした。未来が真っ黒に塗りつぶされ、夢やヴィジョンという言葉が上滑りにしか聞こえない。そんな世界に最初の一歩を踏み出すことができたのは、塗りつぶされることのない自分自身を持った高齢者しかいなかったのではないか、と私は思います。
生きることに自信があるからこそ、一見何もないがれきの山にも踏み出せる。譲れない自分があるからこそ、己の欲するところに従って暴走できる。成功体験があるからこそ、逆境の中に空想できる。復興の現場は、そんな生き方上手の「暴走老人、妄想老人」のエネルギーに溢れています。そんな街が、「若者がチャレンジできるレベル」まで落ち着くのは、これから先のことなのではないでしょうか。
山深く おどろが下をふみわけて 道ある世ぞと 人に知らせん
という古歌があります。
高齢者が経験を頼りにおどろの中を踏み分けた、その先にある「道ある世」。復興の地で私たちが目にしているのは、そんな道の始まりなのかもしれません。
(越智小枝)
地球温暖化対策への羅針盤となり、人と自然の調和が取れた環境社会づくりに貢献することを目指す。理事長は、小谷勝彦氏。