月刊「文芸春秋」の巻頭に「同級生交歓」と題し、モノクロの写真と短い記事からなるページがある。普通は小学校、中学校や高校で同級あるいは同期だった人たちが集まって、懐旧談にふけり、うち1人が記事にするといった趣向である。
毎回、3校の同級生が登場する。1校あたり2人から多いときは5人、あるいはそれ以上になる。僕は月刊文芸春秋を開いたときには、いつもこの欄に目を通している。楽しみにしている。
連載60余年「文化」のにおい薄れた?
でも、近年は毎回のように、「違和感」にとらわれる。「同級生」と言えば、ここに登場した人以外にも数十人がいるだろう。「同期生」なら、数百人はいるかもしれない。その中から、登場人物はどんな基準で選ばれるのだろうか。
おおよその見当はつく。それは、月刊文芸春秋の編集部が「社会的に成功している」と認めた人たち、いわば「勝ち組」なのだろう。そして、編集部がめぼしをつけた政治家なり財界人・経済人なりに、本人の同級生、同期生から適当な人物を選んでくれるよう、頼むことも大いにあるのではないか。
では、自分たち数人だけが「同級生交歓」に出られる「勝ち組」であり、昔のほかの仲間はその資格のない「負け組」なのか。「多くの仲間を差し置いて、自分たちだけが出しゃばるのは申し訳ない」という気持ちにはならないのだろうか。当然、「負け組」に入れられた仲間からの批判もあるだろう。
ところで、この連載は1956年に始まり、2006年にはその50周年を記念して、「文春新書」がそれまでの代表的なものをまとめている。それらを読むと、さっき書いたような「違和感」にとらわれることはまずない。「自分たちだけが勝手に......」という苦情も出そうにない。何よりも「文化」のにおいがする。
サッカー、岡田武史さんはいじめっ子だった!?
たとえば、2人とも故人だが、洋画家の岡本太郎さんと声楽家の藤山一郎さんが出てくる。ご両人は慶応幼稚舎(小学校)と普通部(中学校)でずっと一緒で、卒業のときは岡本さんがビリで、藤山さんがビリから2番目だった。これが藤山さんの岡本さんに対する自慢である。岡本さんがそう書いている。
これも2人とも故人だが、俳優の団玲子さんと田宮二郎さん。京都の府立鴨沂高校で一緒だった。だけど、団さんは田宮さんの学生服姿をどうしても思い出せない。そう田宮さんが書いている。
あるいは、大阪の帝塚山学院小学校で一緒だったサッカーの岡田武史さんとキャスターの国谷裕子さん。帰国子女の国谷さんは岡田さんに「ヤンキー、ゴーホームといじめられた」と言い、岡田さんは「記憶がない」と逃げている。
こんな楽しい「同級生交歓」がだんだんなくなってきた。近年は、出てくる人物がイマイチだと思うことが多い。たとえば、3人のうち1人が国会議員で、2人が医者というのを読んでも、面白くもなんともない。多分、ネタ切れなのではないか。
僕がこんな悪口をたたくのは、この欄に出てほしいとの声がかかりそうにないので、焼き餅を焼いているのかもしれない。でも、もし将来、僕が「勝ち組」になって誘いを受けても、「信念に反する」と、きっぱり断ろうと思っている。(岩城元)