「都会には必ず、セブン‐イレブンがあるらしい」
しかし、当然ながら当時はセブン‐イレブンなど、石川県どころか北陸地方にも未出店だったので、探しても見つかるはずはない。
「あれかな?」
「いや、あれは似とるけど『サークルK』や」
「じゃあ、あれは?」
「......『サンクス』や」
まるでツチノコを探すかのように、「アレも違う」「これは怪しいな」と思ったらデイリーヤマザキかぁ、サンクスかぁ、似てるけど違うよなぁ......とブツブツ言いながら、日が暮れるまで金沢市内を練り歩いた。
気がつけばプリクラを撮ることも忘れて、数時間も経過していた。歩き疲れて、どちらともなく「もう、諦めよう」と歩みを止めた。日は暮れかけている。田舎方面へ戻る普通電車は1時間に1本しかないので、そろそろ帰らければ......
「セブン‐イレブン、なかったね」「うん、なんでやろうね」「金沢なら都会やし、絶対あると思ったんにね」「やっぱり東京にしかないんかなぁ」と言い合って別れたのを、今でも鮮明に覚えている。
あの頃のセブン‐イレブンは、都会的なものの象徴だった。県で一番の繁華街にそれがなかったことは、13歳の私に何かを諦めさせたと同時に、都会への憧れをいっそう募らせることになった。「セブン‐イレブンのある街に、いつか住みたい」と思った。
あれから10数年後、私は都会に住み、セブン‐イレブンはいつの間にか珍しくもなんともなくなり、オレンジと緑と赤の看板に憧れることもなくなった。
25歳になったとき、セブン‐イレブンが石川県に初出店するというニュースを聞いた。得意のドミナント出店戦略で、隣近所の古いコンビニを次々と閉店に追い込んだという。もう、自分の生まれ育った田舎でセブン‐イレブンを見つけても、感激することはないだろう。
それでもたまに、開店したてのピカピカしたセブン‐イレブンを見つけると、心が動いてしまう。「ああ、セブン‐イレブンがあった」とそれだけを思うのだ。
当時、どこを探してもなかった都会の象徴、幻を追い求めたあの頃に、いつでも戻れるような気がするからかもしれない。(北条かや)