大学アメリカンフットボールの試合でルール違反の暴力行為を働いた選手のプレーをめぐって、その行為が監督の指示によるものだったのではないかという疑惑が社会問題化しています。
問題のプレーは日本大学のアメフト部の選手が、関西学院大学との試合中に起こしたもの。しかし、このプレーが試合前に監督から「反則をするなら試合に出してやる」「1プレーでしてを壊してこい」との指示に基づいて行われたものであったと、選手本人が会見で明らかにしています。
この話を他人事ではないと聞いたサラリーマン諸氏も、多かったのではないでしょうか。
組織の中で指示を断る勇気をもつには......
たとえば、大手商社管理職の友人T氏のSNSには、こんな書き込みが。
「組織の中の出来事は基本的に外からは見えないわけで、そこで権力を握っている者が明らかに法令に違反する行為を部下に指示したとしても、指示をうけた側は断固たる態度で断る勇気をもって行動することは本当に難しい。自分の地位と引き換えになるという覚悟をどれだけ持てるか。あるいは、自らの過去からの積み重ねやこれから先の未来をも失いかねない決断を下せるか。そう考えると、この決断に至るのは至難の業です。もちろん違反行為そのものは憎むべきものですが、私は加害者選手に心からの同情を禁じえません」
さらにT氏は、企業組織における同じ構図の例として、2015年の東芝粉飾決算の問題を引き合いにしていました。
東芝の問題は、当時の社長が同社の業績を伸ばすことで自身の経営者としての評価を高め、その地位を確固たるものにしようとしたが故に部下に『チャレンジ』という名の下に粉飾を指示し虚偽の好業績を作り上げた、というものでした。T氏は結論として、「怖いものはリーダーの『保身』である」と結んでいました。
「保身」=リーダーが自らの地位や威光を無理してでも守らんとする気持ち、それが暗黙の違反行為を先導し結果として不祥事を招くということになるのだという意味合いと読み取りました。
指示を断れば、「自分がアメフト部にいられなくなる」
しかし、この「保身」が不祥事を招くという流れはリーダーだけの問題なのでしょうか。今回の日大アメフト部のケースでみてみれば、確かに監督、コーチという学生から見た絶対的な存在から出された指示・命令には逆らえない、という関係にはあったかもしれません。とはいえ、その誤った指示・命令には逆らえないということは、違反行為をした選手にとって絶対に覆しようのないことだったのか、という点に疑問が残ります。
選手は会見で、「監督、コーチの指示を断れなかった自分が悪い」と自身の非を悔いていました。これは、自分の意思をしっかりもって正しい善悪の判断に従っていたなら、断ることはできたということを示唆した言葉でもあります。
では、なぜ彼は現実には問題の試合で相手選手を「壊す」指示を断れなかったのでしょうか。それは彼の証言にあった、このままなら試合に出さない、練習もさせない、という厳しい現実をコーチから突きつけられたこと、さらに言えば、もしこの指示・命令を断れば、自分がアメフト部にいられなくなる、すなわち退部を余儀なくされる、そんな思いが湧き上がってきたことに違いありません。
今の地位を守らんとするまさしく彼なりの「保身」が、そこにあったのは想像に堅くないのです。
「チャレンジ」の名の下、粉飾を指示したトップ
T氏が引き合いにした東芝の粉飾決算のケースもまったく同じです。「チャレンジ」の名の下に粉飾を指示した当時のトップは、実質的に社長の人事権を握る同社経営者OBに対して、業績向上をアピールすることで自らの地位を守ろうという「保身」が働き、部下に違法行為を命じました。
違法行為を命じられた幹部社員は、これに逆らった場合の自身の社内地位や出世コースからのドロップアウトを恐れ、「保身」が働いてコンプライアンス違反に手を染めることになった訳です。
これらのケース以外でも、組織運営を脅かされるような不祥事には必ずと言っていいほど、組織防衛を後回しにした関係者個人の「保身」の影がチラつきます。自身を守ろうとすることは、人間の防衛本能として至極当たり前の行為ではありますが、それが行き過ぎてしまうと組織を犠牲にしてしまうということにもなりかねない、今回の日大アメフト部の一件を含めた過去の多くの事例はそう物語っているように思えます。
組織におけるリーダーとスタッフ、企業における上司と部下、危機に直面した時にその上下関係のどちらにも現れる可能性がある法令違反につながる「保身」は、第三者が入り込む余地が少ないがために多くの場合、両者の相互牽制によってしか抑制できないものであると思われます。
日大アメフト部の一件が日に日に大きく社会問題化していく中で、上司、部下それぞれにおける「保身」の管理こそ、組織における危機管理上の最重要ポイントのひとつであると、改めて強く認識させられる思いであります。(大関暁夫)