最近の新聞記事で気になったものに、新聞社と民間調査会社の共同調査の結果として、「日本の女性取締役登用に遅れ。中東並みの54か国中49位」という報道がありました。
49位という順位もさることながら、問題は「中東並み」という事実。中東諸国といえば、サウジアラビアに代表される女性の就労に著しい制限があるイスラム教国家です。そのような特殊な環境にある国々と、特定の宗教的思想にとらわれることのない自由主義、資本主義国家の日本が、女性の登用において同じような水準にあるというのは、経済的には世界をリードする立場にあるはずの国として、大きな問題であるように思います。
女性管理職に抜擢「活躍の場を与えてあげようか」ってナニよ
この調査は、上場企業を対象としたものではありますが、市場の目が光っている上場クラスでさえこの有様ですから、中堅・中小企業は推して知るべしかと思われます。
私がお付き合いをしてきた多くの企業においても、同族の女性役員や先代が突然の逝去により、やむなく女性後継者が経営を引き継いだというようなケースを除いて、女性が経営者に見込まれて組織のカナメ的な存在として活躍しているケースは未だにあまり多くはないという印象です。
なぜ、それができないのか――。「女性は働きに出ず、家を守るべき」というような日本の戦前思想的な考え方がその背景にありそうなことは否定できませんが、この考え方を改めるべく1986年に定められた男女雇用機会均等法の施行から早30年以上。今もって女性登用でお寒い状況にあるのは、単なる文化的な問題としては片付けられない理由があるように思います。
法整備の下で経営者たちに意識は変わってきても、逆に見えない「男女差別」、言い換えれば無意識の「男女差別」が存在するのではないかと思うのです。
具体的には、女性の登用・活用に関して、「女性だからと差別はしない」ものの「男性と遜色ない女性だから登用する」という意識で女性活用に取り組んでいる企業があまりに多いのではないかと、そう感じることが間々あります。
とりあえず女性役員を発令しようとか、管理職をつくっておこうとか、そんな陰の意識がそれです。金融機関など、その最たるもののように思えます。
すなわち、女性の抜擢や活用がダイバーシティの最も身近な実例として、取り上げられれば取り上げられるほど、ダイバーシティはその意味を履き違えて受け取られやすいということがあるのではないかと思うのです。「ダイバーシティ」そのものを、これまで虐げられてきた弱者保護的な意味合いに受け取って、女性従業員にもっと活躍の場を「与えてあげよう的」な誤った理解で、女性の取締役登用や管理職抜擢に取り組んでいる、そんな企業が多いのではないかと感じています。
中小企業で成功する「女性登用」そのヒケツは......
一方で、それとは正反対の事例も現実には存在しています。ローカル中堅不動産デベロッパーのK社のHさんは40代半ばの女性取締役です。不動産業界は古くから男性社会で知られていますが、Hさんは開発企画、地権者折衝、営業、施工会社管理等々、あらゆる面で社長の右腕として活躍されており、一部では次期社長の呼び声も聞かれるほどの存在です。もともと事務職で入社した彼女を、大抜擢したのは同社T社長でした。
「最初は人手不足からやむにやまれず彼女を説得して営業に出したのです。女性特有の人当たりのよさがあるので、うまくいったら儲けものという程度の考えでした。ところがびっくり。彼女が表だって行動することで、会社としての交渉事は以前よりもうまくいくは、難攻不落の相手がこちらの申し出にOKを出してくれるは、素晴らしい力を発揮してくれました。今や当社の大黒柱です。彼女という手本ができたので、その後採用した女性社員も現場で活躍中です。おかげさまで、業績も右肩上がりに伸びています」
じつはダイバーシティとは、本来は大企業が取り組んでいるような弱者保護的な消極的姿勢ではなく、「多様な人材の特性を活かして積極的に活躍させよう」ということにあります。つまり、T社長が考えた「女性特有の人当たりのよさを活かす」という考え方は、まさしくダイバーシティ的発想そのものなのです。
女性の活用はあくまで入口かなと。経営者もあるいは本人も気がついていない適材適所の人材運用は、まだまだあるのだと思います。出発点は人手不足の中小企業だからこその苦し紛れであったかもしれませんが、社内人材の埋もれた特性に気が付く大切さを痛感しました。
本来のダイバーシティは、意外なところで実践されていました。T社長の言葉は、超売り手市場に苦しむ中小企業の人手不足解消のヒントであると同時に、ダイバーシティ実践を標榜しつつも「男性並み活躍期待」という暗黙の基準で形式的な女性登用に終始しがちな大企業にもぜひ聞いてほしい一言です。(大関暁夫)