行きつけの飲み屋のオーナー、マスターがカウンター越しにこんな話をし始めました。
「私も人生の4分の3が終わろうとしているので、そろそろ店を若い者に任せて今年か来年あたりで一区切りつけ、残り4分の1はやりたいことをやろうかと思ってます」と。
このマスター、じつは私と同年代のアラ還、いわゆるもうじき還暦という年代です。昔風に言えば、サラリーマンなら定年退職、リタイアする歳。人生80年と考えて、仕事一本で来た40年を振り返って、残された想定約20年を仕事以外の何か別のことを生活の中心に置いて楽しく暮らしたい、そんな意味かと受けとめました。
仕事はしていたい。でも、責任はもう負いたくない
人生100年時代に、60歳定年もなかろうと思う向きもあるかとは思うのですが、店主の話をよくよく聞けば、たとえ飲み屋のオーナーといえども人を何人も雇う経営者であり、景気の波に左右される売り上げの浮沈に一喜一憂しながら、従業員の生活を守らねばと思う毎日にほとほと疲れた、そんなところのようでした。
翌日、この話をクライアント先の同年代のオーナー社長H氏に話すと、「そのマスターの気持ちはわかるけど、じつは問題はリタイアして果たして仕事抜きの生活に耐えられるかということにあるんじゃないでしょうか」という反応でした。
「たとえば今はなかなか行けない旅行にしたって、初めの1~2年はいいけど、一人じゃつまらない。そうかと言ってカミさんと行くんじゃすぐに飽きる、というようなことになると思う。趣味にしても、日々の仕事に代わるようなライフワークになりうる何かを持っていない限り、リタイアしてしまうと結局しばらくすればやることがなくなっちゃう人がほとんどじゃないのかな。だから、辞められない、辞めたくない社長が多いのじゃないかと。かくいう私も辞めてもやることがない、いつまでやるの的経営者ではありますが......」
ならば質問を代えて、今考えうる経営者のハッピーリタイアの理想形ってどんなものだろうか、ということを尋ねてみました。
「仕事はしていたい、でもプレッシャーや責任はもうこれ以上負いたくない、自分の時間も欲しい、そんなことをすべて満たすような社長リタイアがあるのなら、それが理想です」
社長にも必要な「働き方改革」
この理想像の最大のハードルは、オーナー社長の場合、リタイア後にプレッシャーや責任のない形での仕事の継続が難しいという点にあるように思います(サラリーマン社長だと、リタイア後に仕事を続けていくこと自体が難しいケースも多いように思いますが)。
そんな私の意見をH氏に伝えると、問題の本質を捉えたこんな返答が返ってきました。
「要するに、社長にもいま話題の『働き方改革』が必要ということなのですよ。過労死まではないにしても、社長の働き過ぎは確実にあります。緊張感や重圧にも慣らされすぎて、やりがいとかを感じなくなりつつあることも多いとも思うし、原点に立ち返った働き方の見直しが社長にもあっていいと思うのです。
どうも社長だけが後戻りが許されず、年中暇なし同じことの繰り返し、そんな立場に追いやられているような気がするのです。後戻りするためには、社長も社長のプライドを捨てて、一社員の意識で出直す覚悟は必要でしょうけど。働き方改革は制度変更だけじゃなくて、自ら変える意識がないとできませんからね」
2~3年は完全リタイアで好きなことに没頭、その後は......
なるほど、社長であるが故の打破できない現状の壁が大きく立ちはだかっていて、それがために引退もできず、形式的な承継はできても真の承継はできない。すなわち大病してリタイアを余儀なくされでもしない限り、死ぬまで自らが課した仕事の呪縛から解き放たれることはない、それが世のオーナー経営者の現実なのかもしれません。
H氏の持論を聞くうちに、先のマスターがこの話と符合するような想定リタイアプランを話していたのを思い出しました。
「今考えているのは、とりあえず2~3年は完全リタイアで店を離れ、好きなことに没頭します。その間はどんなに気になっても店には一切に顔を出さず、運営に口も出さず、です。この間に仕事を忘れてやりたかったことに没頭すると同時に、店における経営者としての存在感も薄めるわけです。で、2~3年したら、今度は一外部スタッフとして店を週2~3日だけ調理指導かなにかで日中だけ手伝いながら、それ以外の時間では好きなことも続けるというバランスのとれた生活にもっていけたらなと、それが理想です」
一般の中小企業の社長が、このマスターのやり方と同じようなリタイアプランを実行できるかと言えば、多々難しい部分もありそうですが、「社長の働き方改革=ハッピーリタイア」を望む経営者方のヒントにはなりそうな気がしました。
同時に社長の「働き方改革」は、多くの中小企業が頭を痛めているスムーズな事業承継のカギを握っているようにも思います。(大関暁夫)