【IEEIだより】福島レポート メディアの功罪「風評払拭」の落とし穴、発信力が持つ暴力性(越智小枝)

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メディア中毒に陥る支援者

   また、よく知られていながら、メディアではあまり語られないことに、メディアに報道されること対する一種の中毒性があります。

   「発信する・報道される」ことによって人に注目される、意見を聞いてもらう、感想を言われる。その経験は、多くの場合は心地よいものです。大きな災害の後には、それ自体が支援活動のモチベーションになることも多いでしょう。また、自分の言葉を広く世間に発信できたことで心が救われた被災地の方も大勢いたと思います。

    しかし今の福島では、この中毒性によって人々が誤った「支援者根性」に囚われてしまっている場面も少なからず見られます。

   つい最近、浜通りのある施設が「復興ボランティアに伺いたい」という申し出を受けたそうです。ところが、
「今回の活動の新聞テレビなどメディアの掲載はご遠慮させて下さい」
とお願いしたところ、途端にその団体は
「メディア露出がないなら今回のボランティアは辞退する」
と、予定を中止してしまったといいます。

   メディアに発信できないボランティアは無意味というのであれば、これは本末転倒の支援と言えるでしょう。

   また、地域の暴露ネタをメディアに流したり、「復興を遅らせているのは地域の古い文化だ」など、震災前から地域を支えてきた方々を批判し始める人もいます。

   もちろん、都市とは異なる文化をみて、地域社会の制度に改善の余地を見出す人もあるでしょう。しかし、その批判を全国に発信する必要はありません。その人を訪ねて話し合えばいいだけの話だからです。それを敢えて発信してしまう背景には、気づかない間に囚われしまっているメディアへの中毒性が存在するのではないか――。発信者は常にこの反省を繰り返す必要があります。

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