「答弁は差し控えさせていただきたい」――。国会では、政府側がこんな「答弁」をすることがよくある。「コメントを差し控えさせていただきたい」というのもある。
2018年3月2日付の朝日新聞朝刊は、学校法人・森友学園との国有地取引の際に財務省が作った決済文書について、契約当時の文書の内容と、昨年2月の問題発覚後に国会議員らに示した文書の内容に違いがあり、書き換えられた疑いがある――と報じた。
こうした態度は慇懃無礼ではないか!?
この日(3月2日)の参院予算委員会で、野党側がさっそくこれが事実であるかどうかを政府側に質すと、麻生太郎副総理兼財務相は大阪地検の捜査に影響を与える恐れがあるとして「答弁は差し控えさせていただきたい」と述べた。
そのあと、何度も答弁に立った財務省の大谷充理財局長も、そのたびに同じ理由で「お答えは差し控えさせていただきたい」を繰り返した。
野党側は怒り、委員会は何度も中断した。
この書き換え疑惑の結末がどうなるかは別として、そもそも「答弁を差し控えさせていただきたい」などというのは、「答弁」にはなっていないのである。
つまり、「させていただく」という謙譲語を使う場合には、基本的には(1)相手側や第三者の許しを得る、(2)その結果、自分が恩恵を受ける、との条件が必要である。「許しを得る」とは、迷惑をかけて申し訳ないのだけど、自分のやることを許してほしい、といった意味。
だから、「本日はもう遅いので、閉店させていただきます」「体調が悪いので、早退させていただけますか」なら、なんらおかしくはない。
しかし、国会で答弁を求められたのに、「差し控えさせていただきたい」となると、まったく話が違ってくる。
それは
「そんなこと聞いても、しようがないぞ」
「あなたに答える義務はない」
「答えるかどうかは、私の勝手だ」
などと言っているのと同じではないだろうか。
そのくせ「させていただく」と、謙譲語を使っている。
こうした態度は慇懃(いんぎん)無礼としか言いようがないと僕は思う。
答えられないわけないのに、謙譲語で丁寧なふり
国会で「答弁」にはならない「答弁」が出るのはこの日に限ったことではない。3月5日の参院予算委員会の裁量労働制に関する質疑でもそうだった。
裁量労働制をめぐっては厚生労働省が昨年(2017年)12月、これを乱用していた野村不動産を特別指導したと公表していた。ところが、その特別指導は裁量労働制を違法適用された同社の男性社員が過労で自殺し、労災を認定されたのが端緒だった。だが、同省はこれまでそれには触れていなかった。
そこで、参院予算委員会で野党側が加藤勝信厚労相に調査のきっかけについて質すと、同氏は「コメントを差し控えさせていただきたい」と述べた。
答えられないわけがないのに、謙譲語を使って丁寧なふりをし、答えを拒否する。国民を愚弄(ぐろう)しているとしか、言えないのではないか。