先週に引き続き、冬季オリンピックのネタをもうひとつ。多くの日本国民がテレビの前に釘付けになったであろう、女子カーリングチームのお話を。
世界ランキング6位の実力で今回のオリンピックに出場した日本チームでしたが、準決勝にまで進出。そこでは敗れたものの、3位決定戦でランキング4位の格上の英国に勝利して見事、銅メダルの栄誉に輝きました。「チームにいつも笑顔が絶えない」「選手たちの『そだねー』という方言のやりとりが可愛い」などという点が特に注目を集め、世間を賑わせてくれたのですが、マネジメントでは別の注目点がありました。
LS北見を「起業」した本橋選手の「立ち位置」
それは、今回リザーブに回っていた本橋麻里選手の存在です。本橋選手は2006年のトリノ大会、10年のバンクーバー大会と、2回のオリンピックに出場し、それぞれ7位、8位に入賞を果たしています。
いわゆる第1次カーリングブームの立役者であり、「マリリン」の愛称でアイドル的な人気を集めてもいました。
そんな本橋選手が今回の平昌オリンピック開催前に、日本代表チームのリザーブ選手として出場することを聞いたとき、私は「年齢的なこともあって実力的にピークアウトしているのなら、リザーブになってまでいつまでも代表に座にしがみつかずに後進に道を譲ればいいのに」と思ったのですが、事実関係はまったく異なっていたようです。
本橋選手はバンクーバー大会の後、それまで所属していたチーム青森を離れ、自身の生まれ故郷である北海道北見市常呂町に戻って、地元出身の選手を集めた新チーム「LocoSolare/LS北見」の結成に乗り出しました。
選手集めから、練習場の確保、スポンサー交渉に至るまで、すべてを彼女自身が手がけゼロから再スタートした、いわば「スポーツ起業」だったのです。
起業家の立場でプレイヤーを続けた彼女が選んだやり方は、主将でありながら自らがスタープレーヤーとしてチームプレーの先頭に立つのではなく、リザーブとして一歩引きながらも、現場目線を持ちつつマネジメントの立場からチームをリードするやり方でした。
彼女が重視をしたことはチームワーク。実績も知名度も圧倒的に高い彼女が、チームに入ってプレーをすれば、チームとして若い選手たちとのバランスが崩れる。ならばと、自分が一歩引いて現場を総括する立場に徹したわけなのです。