通帳の数字を見ても、なんの実感もわかない!
説明されても、自分のこの不安が「妄想」だとは、にわかに信じがたい。当たり前か、妄想なんだから。医師の言うとおり「終わりがない」のだろう。
医師の話を横で聞いていた母親も、うんうんと頷いていた。
「娘は、私たちがどれだけ説得しても『お金がない』と言って聞かないんです。それなりに預貯金のある通帳を見せても、ダメなんですよ」
うわっ、恥ずかしい。が、医者の前で見栄を張っても仕方がない。私はカウンセリングルームで、不安を直訴することにした。
「貯金なんて、ないものと考えないといけないんです。結婚してからは、貯金がどんどんなくなっていって、本当に恐怖でした。私は会社員じゃないから、仕事を休んだらお給料が入ってこないし、貯金なんていくらあっても、すぐに消えていくんです。実際に通帳の数字を見ても、なんの実感もわかないし、『もっと貯めなければ』と不安になるだけです!」
こう書いていると、アホらしいほど「ただの心配性」という感じである。
社会学の祖、マックス・ウェーバーは、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で、キリスト教の一派であるプロテスタントが「神に救われるかどうか、死ぬまでわからない」という不安に取り憑かれ、「救われるためには労働に勤しむことだ」と、一心不乱に働くようになったと述べた。
私も似たようなものだろうか。死ぬまで生活不安に襲われ続け、「働かなくては!」と、筆を走らせ続けるのだろうか。
いや待てよ...... 私の場合は、勤勉なプロテスタントとは異なり、不安になりすぎて何も手につかず、締め切りを飛ばしたりするんだから、プロテスタンティズムの風上にも置けない。ただの「妄想ババア」である。全国のプロテスタントの皆さま、すみません。
それにしても、この「貧困妄想」ってのは、本当に厄介だ。年末ジャンボ宝くじで10億円、当選しても、「お金がなくなる」との不安は残るだろう。それくらい、妄想というのは強固なんである。
わかってくれる方、どこかにいませんか......?(北条かや)