その32 形式的な年賀状 「こんなものいらない!?」(岩城元)

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自筆が1文字もない年賀状って......

   僕も毎年、こんな年賀状をよく受け取る。そして、はがきには自筆の文字が1字もないことが多い。これでは、相手がいま何をしているのか、元気なのかどうかなどが分からない。せめて一筆でいいから、何かを記してほしい。

   こういう年賀状は「形式的」の最たるもので、頂いても少しもうれしくない。ただ、僕のような年寄りが同世代の人からのこんな年賀状を見ると、「ああ、あの人もまだご存命なのだな」と、生存を確認する程度の意味はある。

   自分の近況などを述べた年賀状もよく受け取る。でも、文面も宛先も自分の住所氏名もすべて印刷で、自筆の文字が見当たらないと、やはり何か物足りない。

   本当に僕に出そうと思って出してくれたのか? 誰に出したかも覚えていないのではないか? そう疑ってしまう。やはり形式的である。

   形式的というのとは少し違うが、家族のことを印刷で長々と書かれるのも、読んでいてくたびれる。

   それも、僕と家族ぐるみの付き合いをしている相手ならまだいい。けれど、今まで会ったこともない息子や娘、さらには孫についていろいろ聞かされても、おもしろくもなんともない。ときには、ペットの犬や猫の近況まで書いてある。

   かく言う僕の場合は、文面は印刷だけど、近況はできるだけ短く書き、必ず一筆添えることにしている。宛先も相手のことを思い浮かべながら、自筆で書く。

   これが理想的な年賀状だと主張するつもりはまったくないけれど、受け取った人が差出人の「ぬくもり」を感じる年賀状であってほしい。(岩城元)

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岩城 元(いわき・はじむ)
岩城 元(いわき・はじむ)
1940年大阪府生まれ。京都大学卒業後、1963年から2000年まで朝日新聞社勤務。主として経済記者。2001年から14年まで中国に滞在。ハルビン理工大学、広西師範大学や、自分でつくった塾で日本語を教える。現在、無職。唯一の肩書は「一般社団法人 健康・長寿国際交流協会 理事」
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