自筆が1文字もない年賀状って......
僕も毎年、こんな年賀状をよく受け取る。そして、はがきには自筆の文字が1字もないことが多い。これでは、相手がいま何をしているのか、元気なのかどうかなどが分からない。せめて一筆でいいから、何かを記してほしい。
こういう年賀状は「形式的」の最たるもので、頂いても少しもうれしくない。ただ、僕のような年寄りが同世代の人からのこんな年賀状を見ると、「ああ、あの人もまだご存命なのだな」と、生存を確認する程度の意味はある。
自分の近況などを述べた年賀状もよく受け取る。でも、文面も宛先も自分の住所氏名もすべて印刷で、自筆の文字が見当たらないと、やはり何か物足りない。
本当に僕に出そうと思って出してくれたのか? 誰に出したかも覚えていないのではないか? そう疑ってしまう。やはり形式的である。
形式的というのとは少し違うが、家族のことを印刷で長々と書かれるのも、読んでいてくたびれる。
それも、僕と家族ぐるみの付き合いをしている相手ならまだいい。けれど、今まで会ったこともない息子や娘、さらには孫についていろいろ聞かされても、おもしろくもなんともない。ときには、ペットの犬や猫の近況まで書いてある。
かく言う僕の場合は、文面は印刷だけど、近況はできるだけ短く書き、必ず一筆添えることにしている。宛先も相手のことを思い浮かべながら、自筆で書く。
これが理想的な年賀状だと主張するつもりはまったくないけれど、受け取った人が差出人の「ぬくもり」を感じる年賀状であってほしい。(岩城元)
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