時を同じくして、日産自動車、神戸製鋼所という日本を代表する企業の不祥事が世間を賑わせています。日産自動車は生産車両の検査を無資格の人間がやっていたというもの、神戸製鋼は自社の生産品の品質検査を改ざんしていた、というものでした。
考えてみれば不正会計問題、米国原発の巨額損失問題という相次ぐ重大な不祥事で揺れ続ける東芝もまた、我が国を代表する企業として組織内に同じような問題を抱えていると言えるでしょう。なぜ日本を代表する企業で次々と、同じような根っこの深いコンプライアンス違反の不祥事が発生してしまうのでしょうか。
トップへの権力集中が「過ち」を引き起こす
今でこそ大企業の一部では委員会設置会社方式が導入され、トップ人事も含めた役員人事も取締役の合議に委ねられるようになってきましたが、元来、日本企業はオーナー系であるか否かに関わらず、トップが人事決定権において、絶対的な力を握っていることが当たり前でした。長年、そうやって過ごしてきたのです。
結果、何が起こるのかと言えば、幹部はトップへ、社員は幹部への「御機嫌うかがい」の姿勢と、組織内の相互牽制作用の欠如です。
組織内にイエスマンがはびこり、組織内での相互牽制が欠如するなら、コンプライアンス違反を見過ごし、改ざんや隠蔽などの事態が起こりやすい組織風土を形成していくことになるわけです。
オーナートップ企業とサラリーマントップ企業とでは、組織風土の形成過程に若干の違いはあるものの、トップへの権力の集中は結果的に過ちが起きやすく自浄作用が働きにくい組織風土をつくり上げることになります。
いや、むしろトップが絶対権力を握りやすいオーナー系中小企業でこそ、こういった傾向は強く出るのかもしれません。
昨年(2016年)、管理者教育をお手伝いしたT社でこんなことがありました。パワハラに近い行為が複数の職場に存在するとの内部通報があり、実態調査の目的で幹部社員を部下が評価する「360°評価」を実施してみてはどうか、と提案しました。
すると、Y社長は是非やってみたいと応諾するとともに、「私自身も、被評価者として対象にいれて欲しい」と申し出たのです。これには少し驚き、その真意をたずねました。
「社員の皆、特に幹部社員たちが私の普段の言動をどう見てどう感じているのか、聞いてみたいのです。社長のイスに座って長くなると、皆が私を全権全能の指導者であるかのように扱い、私自身が自分の毎日の言動や判断が果たして正しいものなのか、分からなくなってしまいます。言い換えるなら、皆がイエスマンにもなりかねないような環境の中では、私自身の危機感が足りずに現状を変える事が億劫になり、ぬるま湯が徐々に熱湯に変わっても気がつかずに死んでしまう『ゆでガエル』にもなりかねないように思うのです」