銀行時代の元上司が亡くなられたという情報を耳にして、葬儀に足を運びました。
その元上司Kさんは、銀行時代はやり手で鳴らし役員にまで昇り詰めた方でした。私は一時期、K部長の下でお仕えしたのですが、取引先に出向されてからはほとんどお目にかかる機会がありませんでした。
現役時代は飲み会にゴルフに超多忙!
Kさんは長年管理者として、役員として数多くの部下を率いた方なので、さぞや盛大な葬儀かと思いきや弔問客は意外なほど少なく、少し驚いてしまいました。
焼香を終えて最寄駅に向かって歩いていると、銀行時代の後輩のN君にばったり会ったので、精進落としと称して駅近辺で軽く杯を傾けることにしました。
「Kさんの葬儀はもっと多くの銀行関係者が来ているものと思ったけど、意外だったね」と、私が口火を切ったのですが、N氏からは意外な話が聞かれました。
「Kさんは優秀な方で銀行では大変ご活躍だったのですが、晩年は寂しそうでしたね。2年ほど前に銀行のOB会でお目にかかった時も、現役時代は頻繁に元部下からの声掛かりで飲み会やゴルフに誘われていたのに、退任し出向してからというもの元部下の皆が集まってくれる機会もほとんどないのだと、元気なく話していたのが印象に残っています」
私のイメージではリーダーシップに優れ、的確な指示を出しつつ決断力をもってグイグイ引っ張って業績を上げていき人望も厚い、そんな印象を持っていたので、本当に思いがけない話でした。
私が少し意外な顔をして話を聞いていたからでしょう、人事部門の勤務が長いN君は人事の専門家らしい分析を聞かせてくれました。
「銀行を卒業された後に部下から慕われるタイプと、そうでないタイプがいるのですよ。それって、一般的には人柄の善し悪しに左右されるのではないのかと思われがちのなのですが、必ずしもそうでもないのです。Kさんだって、部下からの人望が厚く人柄のよい方ですよね。大関さんが意外に思われるのもごもっともです」
時代とともに変わる「仕事のやり方」
では、「卒業後」の人望を決めるのは一体何なのか――。彼の話の続きに、思わず引き込まれます。
「その昔『善し』とされたリーダーシップは、少しばかり強引であっても、自分で物事決め部下に対して役割に見合った的確な指示を次々出して引っ張っていくようなスタイルでした。恐らく大関さんや私が銀行に入った頃が、その最後の時代であったのかもしれません。これはマーケティング用語に置き換えれば、プロダクトアウトと言えるやり方です。しかし、今は違います。マーケティングも人事管理も人という相手がいることには変わりなく、部下から見て『善し』とされるやり方もマーケットイン主流の時代に移行しているのです」
プロダクトアウトとは、高度経済成長の時代などに代表されるマーケティング思考で、送り手側、つくり手側が自ら考えたよいものをつくれば、物はどんどん売れるという考え方で、日本でも高度成長期からその延長にあったバブル経済が崩壊するまでは主流を占めていました。
一方のマーケットインは、自分がいいと思うものを次々つくって売るのではなく、市場が何を求めているかを調査し、それに基づいて提供する製品やサービスを決定するやり方です。まさしくマーケットにインする、自ら入り込むやり方なのです。
「マーケットイン」型リーダーと過ごした「密度」
「人事管理におけるマーケットインというのは、リーダーが自分ひとりで物事を決めて指示を出すのではなく、部下に議論させあるいは一緒に考えて進め方を決めていく、そんなやり方になります。マーケットイン型のリーダーが、なぜ上下関係がなくなった後も厚い人望を保つことができるのかと言うと、過去に使えた部下たちはそのリーダーの下で、自分たちでつくり上げ成果物を手にしたという、ある種の成功体験を実感できているのです。すなわち、このリーダーと過ごす時間の楽しさを心と体がしっかり記憶しているのです」
上司の指示を的確に守って業績向上に貢献し、その上司に引き上げてもらった担当者は、上司が現役のうちは何かと気を遣うものの、一度卒業してしまうと疎遠になる。このようなビジネスライクでクールな上下関係は、意外に多いように思います。
同時に、必ずしも業績伸展の共有や昇格の恩恵はなくとも、部下の主体性重視で一緒に考え動くことの一体感を経験した部下ほど、上司の卒業後も彼を慕ってのお付き合いが続くものだと言うことは、私自身の経験も含めてうなずけるところです。
そんなことを考えていたら、普通に銀行員生活を終えたものの、今も昔の部下たちとのお付き合いが絶えず、私自身も頻繁にご一緒している元上司のことが思い浮かびました。もう70歳の坂に差しかかる年代ですが、何時お目にかかっても仲間に囲まれて幸せそうな笑顔が素敵です。
業績を伸ばし、自身が出世することばかりが最終的なサラリーマンの幸せとは限らない。卒業後が長くなった今だからこそそれも大切かと、つくづく考えさせられた葬儀でありました。(大関暁夫)