小学3年生の春休み、生まれて初めて東京ディズニーランドを訪れたときのことは忘れられない。
かねてより母は、「夢の国」へ一度くらいは子どもたちを連れていきたいと思っていたようで、旅行の計画を立てていた。本当は家族で行くはずであったが、父は「人混みが嫌い」とか「たいしてディズニーキャラクターが好きなわけでもないのに、行く必要はない」といった理由で不参加だった。一方の、母と私たち姉妹は1か月も前から大はしゃぎであった。
盆と正月が一緒に来たようなワクワク感
あの頃、旅行は行くまでの期間がもっとも楽しく、長く感じられた。訪れたことのない「東京」へ行くのも楽しみであったが、なにより、いつもは厳しい母がガイドブックを買ってきてニコニコと広げたり、それを妹と眺めて「どこから回ろうか」と計画を立てたりしていると、盆と正月が一緒に来たようなワクワク感でスキップしたくなった。
盆も正月も、大人になった今より小学生の頃のほうがなにかと楽しめていた気がするが、それは「すべて大人に任せていればよく、自分はただ普段と違う休日を全力で楽しめばいい」という無責任さから来ていたと思う。
勉強しなくてはとか、クラスの友人との人間関係を気にしなくてはといった、ふだんの苦行から開放され、ただただ「子どもの特権」を存分に味わえる、それが盆と正月だ。その2つがいっぺんに来たようなワクワク感といったらもう、下手なステップのひとつも踏みたくなるというものだ。
母は、絵を描くのが好きな私のために、「ディズニーランドでスケッチしたらいいよ」と、真新しい色えんぴつセットまで買ってくれた。ふだん、マンガ本の1冊も買ってくれない母が、こんなにいいモノを買ってくれるなんて、もうすでに「夢の国」にいるようだ。私は舞い上がった。ディズニーランドを訪れる日を指折り数え、カレンダーにバツ印をつけた。
いくら探してもいないミッキーマウスに気持ちはどんより
いよいよディズニーランドを訪れる日になった。関東にある母の友人宅に前泊したのだが、そこで早速、私と妹は出されたデザートをめぐり、「どちらがチョコケーキを食べるか」というくだらない理由でケンカして、母にこっぴどく叱られた。
「こんな旅行先まできてケンカするんじゃない!」
母の友人は笑って許してくれたが、心の中では「うるさいガキどもだな」と毒づいていたかもしれない。ギャーギャーわめく、2人の小学生の相手をするのは、今の私だったら結構イヤだ。
おまけに、翌日訪れたディズニーランドは雨であった。3月の終わりで、まだ寒い。夢の国でも、どんよりとした曇り空に雨が降って肌寒いことがあるのだとその時、なんとなく思った。ステージで踊るミッキーマウスたちも、心なしかテンションが低いような気がする。
園内を歩いてもミッキーマウスやミニーマウスとは出会えず、大して好きでもない犬のキャラクターと記念撮影した。私はミッキーマウスと写真を撮りたかったのに、いくら歩いてもいないのだ。仕方なく私は、ミッキーマウスの形に整えられた植え込みの横で同じポーズを撮り、カメラに収まった。
ただの草の横で、ぎこちない笑みを作る姉妹。あまりうまく笑えておらず、後に家族のアルバムに貼られても、あまり嬉しくなかった1枚である。
とにもかくにも、雨で散々だったが、あとに泊まったホテルでは、母に買ってもらったスケッチブックと色えんぴつでシンデレラ城を描くなどして楽しみ、そこそこいい思い出になった。
あれから18歳になるまでに、2度ディズニーランドを訪れ、そのたびに全力で楽しんだが、大人になった今、もう一度訪れたいかと問われればノーだ。
いまや7000円を超えるチケット(1DAYパスポート)を購入し、1日人混みを歩き回って、好きでもないキャラクターとたわむれることに意味を見いだせなくなってしまった。
子どもの頃は、「意味」とか「コストパフォーマンス」とか、面倒なことを考えなかったから「夢の国」に耽溺できたのだ。これが「大人になる」ということなのか、それともただ私が冷めてしまったのか。
今となってはあのとき、「どうして好きでもない着ぐるみがいる人混みへ行かなければならないのか」と、旅行に不参加だった父の気持ちが、痛いほどわかるのである。(北条かや)