流行に乗り遅れ、DDRのステップが踏めない!
この頃から、私が苦手なおもちゃばかりが流行するようになる。小学校の高学年になると、プレイステーションのゲーム「ダンスダンスレボリューション」(DDR、画面の指示に合わせてステップを踏み、正確さなどのスコアを競うゲーム)が大流行したが、私の家は厳しくてゲーム機を一切買ってもらえなかった。
そのため、ゲーム機のある友人宅に人が集まるようになり、私の家で遊ぶ回数はどんどん減っていった。
ゲーム機、そう「プレステ」さえあれば、狭かろうが古かろうが、その友人の家はクラスメイトでいっぱいになるのである。まさに「プレイ」する「ステーション」たりうるのである。が、私の家にはゲーム機がなかった。広いだけでなんの遊具もないわが家は、プレステの流行とともに無価値になったのである。
ゲーム機もマンガ本もなく、親が厳しくてテレビのひとつも見せてもらえないわが家が、遊び場としての求心力を失うのは当然だった。寂しかったが、悠長なことを言っているヒマはない。私もまた、流行についていこうと、必死で「プレステ」のある友人宅へ通った。
苦手なダンスダンスレボリューションをマスターしようと、必死になったのである。が、もちろん運動音痴な私にダンスのゲームなど踊りこなせるはずもなく、下手なステップを披露して笑い者になるだけであった。
今でも私は、「家なんて狭くてもいいから、ゲーム機のひとつでも買ってほしかった」と、当時の悔しい思いを回顧しているのだ。(北条かや)