地下鉄のエスカレーターを、若い男が勢いよく駆け下りてきた。
どん、どん、どんと音が響く。エスカレーターは片側に一人で立っている人のほか、並んで立ち話をしている人も何組かいて、やや混んでいた。
エスカレーターで急ぐ人は格好つけたがり?
男はそれらの間をすり抜けていく。体と体がぶつかったりする。肩を押された同年配の男が声を上げた。
「なんで走るんだ? びっくりさせるなよ」。
だが、「急いでるんだ」と、男はなおも駆け下りていく。
別の若い男が声を荒げた。「急ぐんなら、階段を走ればいいじゃないか。エスカレーターを壊すなよ」。
「一触即発」の感じになったが、これは日本での話ではなく、中国・北京でのこと。中国人の知人が教えてくれた。中国でも、エスカレーターは急ぐ人のために片側を空けるのが一応の「マナー」とされているが、徹底していないようである。
ひるがえって日本では、これがなぜか徹底している。発祥は欧州ともいわれるが、大阪圏では左側空け、東京圏では右側空けが普通である。
だが、片側空けは何かと問題がある。脊髄腫瘍の手術で、首から下にまひのある女性の話が朝日新聞(東京版)に載っていた。彼女はエスカレーターの左側のベルトがつかめない。右側に立つと安定するが、それでは「迷惑をかけるから」と、無理して左側に立っている。ヒヤヒヤの毎日である。
片側を空けておくのは、急ぐ人のためというのだが、僕には疑問である。駆け上がり駆け下りてエスカレーターを離れたあとも、急ぎ足の人はそうは見かけない。エスカレーターでは格好つけて、忙しい振りをしていたのではないか。
「せまい日本 そんな急いでどこへ行く」
エスカレーターというものはそもそも、走るのはもちろん、歩くようにも設計されていないそうだ。段差は階段よりも大きいので、つまずきやすい。走ったり歩いたりは危険だし、故障の原因にもなる。
駅や百貨店などでは「エスカレーターでは歩かないでください」といった放送を耳にするし、ポスターも貼ってある。
だが、守られる気配はいっこうにない。
その「元凶」が片側空けである。空けておかないと、走ったり歩いたりの人から文句を言われかねない。もめるのはイヤだから、つい空けてしまう。空けると、エスカレーターを駆ける人たちの「天下」になってしまう。
では、それをやめさせるにはどうするか。仮に「歩行禁止」にしても、どれだけ守られるだろうか。結局は、エスカレーターに乗る人たちの自主性に任せるほかはないのだが、北京の地下鉄でのように、注意してけんかになりそうなのも困る。
そこで、たとえば片側空けに反対する人たちが「有志連合」を組む。そして、エスカレーターに乗るときには、二人ずつ並んで立ってみる。その人数が多いほど因縁もつけられにくい。そうやって、無言の圧力で少しずつ片側空けをなくしていく。名案とは言えないけれど、どんなものだろうか。
かつての交通安全のスローガンに「せまい日本 そんな急いでどこへ行く」というのがあった。エスカレーターも同じである。エスカレーターで急いでいる人たちを笑ってあげようではないか。(岩城元)
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