2017年5月、ついに念願のMacBook Airを購入した。昔から「見た目が素晴らしい」と思っていたうえ、少し前に購入したiPhone7が非常に使いやすいので、「Macも使いこなせるだろう」と思ったのだ。
ところが、それが大きな間違いであったことに......
こんな難しいマシン、自分にはムリだ!
当たり前だが、iPhoneが好きだからといって、Macのパソコンが使いこなせるというのは、単なる思い上がりであった。同じ会社がつくったモノではあるが、iPhoneとMacパソコンは、まったくの別物だ。
小学生の頃から20年もWindowsに親しみ、かなり使いこなしていた(と自負している)わが指には、Macのすべてがなじまなかった。
頑張って慣れようにもキーボードが違うので、何度もタイプミスをしてしまう。原稿が進まない。デスクトップを切り替える方法が違うので、マルチタスクが不便で仕方ない。
Windowsではすぐに見つけられたファイルが、どこにあるかわからない。「どうして、Macではこんなことができないのか」と、戸惑うばかりだった。
おまけに、編集者から送られてきたファイルが開けない。「申し訳ございません。添付ファイルが開けないようです」と、メールをする時の、手間と罪悪感といったらなかった。Macパソコンの見た目は非常に気に入っているが、正直、見た目がキレイなだけで仕事はできない。
ちょっと収入がアップしたからといって、20年連れ添った「糟糠の妻」(ビル・ゲイツのWindows)を捨てて、若くてデザインの美しい恋人(スティーブ・ジョブズのMac)へ走ったのがバカだった。
後悔先に立たずとはこのこと。20年ものあいだに「あうんの呼吸」を築いた元妻、ビル・ゲイツとの関係は、切っても切れなかったのだ。見た目こそイマイチだが、やっぱり元妻が恋しい。
Windows は20年連れ添った「糟糠の妻」
というわけで、まずは美しいMacBook Airに、使い慣れたWindows10をインストールしてやった。「新しい恋人に、元妻の味噌汁をつくらせて、昔の快適さを味わおう」という魂胆である。
ところが、OSをWindowsに変えても、いちばん大事なキーボードが変わらないので、使い心地は悪いままだった。
「私は元妻の味噌汁が飲みたいんだよ! どうしてうまくつくれないのか!」と、イライラしてしまうのである。なんとも情けないし、Macのほうでも、無理やり元妻のレシピを押し付けられて、嫌気が差していただろう。「知らないわよ、あんたが勝手に、長年連れ添った奥さんを捨てて私のところへ来たたんでしょ」という感じである。
そこで今度は、若くてキレイな恋人、Macに、外付けでWindowsのキーボードをつなげてやった。ディスプレイも見やすい別の物を買ってきて繋いだ。
きらびやかなMacは完全に観賞用となり、私はすべてをWindowsで済ませる生活に戻ったのだ。やはり元妻、ビル・ゲイツより素晴らしいパートナーはいなかった。最初から浮気などせずに、ビル・ゲイツの元へとどまるべきだったのだ。ジョブズの美しさもいいが、ゲイツを失ってから、その空気のような快適さに気がついた次第である。
Macユーザーからすれば「こんなに美しいMacが使いこなせないなんて......」と思われるだろうが、私にとってこの体験は、恋愛よろしく感覚的なものだったから、仕方ない。ああ、今日も手に馴染むWindowsで、私は糟糠の妻との穏やかな日常を噛み締めている。(北条かや)