エアバッグ製造大手のタカタが民事再生を申請して倒産しました。負債総額が1兆円を超える大型倒産で、製造業としては戦後最大規模です。
このような大企業がなぜ倒産に追い込まれたのか――。その背景を見てみると企業規模に関わらない、企業経営にとって重要なことが見えてきます。
タカタもそうだった「オーナー経営者=大株主」
タカタの社長(会長兼社長)である高田重久氏は、創業家の三代目にあたります。世によく言われる、「オーナー企業は、二代目がダメにして三代目がつぶす」を地で行く形となってしまったわけなのですが、これまでも事故発生から倒産に至る過程においては、経営者としての重久氏に対する批判がかなり大きな声で聞こえてきていました。
タカタのエアバッグ事故が最初に報告されたのは、2005年のこと。ホンダがタカタ製のエアバックのリコールを実施したのが08年。09年には死亡事故が発生、14年には原因不明の異常破裂が相次ぎ、調査リコールをせざるを得ない状況に追い込まれました。
しかしそれでもなおタカタは、調査、改善に本腰を入れるには至りませんでした。
倒産を報じる新聞各紙やテレビの報道番組では、これら一連のタカタの動きを評して、「初動の遅さ」「対応の遅れ」が命取りにつながった、と報じています。なぜタカタは重大な事故が起きていたにも関わらず、対応が遅れてしまったのでしょうか。
その大きな原因のひとつが、創業家による同族経営すなわち高田家というオーナー家の存在にあると言われています。
オーナー経営者とサラリーマン経営者の最大の違いはなんであるかと言えば、大抵の場合オーナー経営者は大株主でもあるということ。たとえ大株主であろうとも、経営者としては大株主であることと切り離して会社経営をしなくてはいけないのですが、それがなかなか難しいのです。
社長の突然の病死に、次男N氏がとった手は......
会社の規模は全然違いますが、建築下請け企業O社は業歴約50年、従業員約30人の中小企業でした。15年ほど前のことですが、創業者が亡くなりその長男である二代目がその後を追うように突然病死し、次男N氏が思いがけず社長のイスに座りました。
しかし、元々が経営者になる心構えもなく、準備もなく、兄とは違い外交的でもなく、周囲も本当に彼で大丈夫なのかと心配顔で見守っていました。
ただでさえN氏の社長就任後、徐々に売り上げが落ちていた折も折、リーマンショックで受注が激減。会社は思い切った立て直しをはかるべき局面に立たされていました。しかしN氏が選んだ道は、なんと自主廃業。社員は唖然としました。「なぜ?」。社員から漏れた経営に対する非難は、「社長は会社の資産があるうちに一族で山分けした」というものでした。
つまり、このまま売り上げが減り、利益を減らしていけば数年後には債務超過に陥り、会社の資産をゼロにするだけでなく、下手をすれば社長は連帯保証人として負債の返済義務まで負わされます。
ならば、創業者、二代目が築き上げた資産があるうちに、株主である創業家で分配して会社は解散させてしまったほうが得策である、と考えたということです。いきなり職を失い、僅かばかりの退職金をもらっただけの社員はたまったものではありませんが、取り分を確保できた社長をはじめとする創業家の株主の面々は、今も悠々自適な暮らしを送っています。
会社は「オーナー家だけのものでない」
タカタの場合も同じことが言えます。エアバッグ製品のリコールに関しては自動車メーカーにおんぶにだっこ状態であるのをいいことに、遅々として調査、改善に本腰を入れませんでした。さらには、自主再建の道が険しくなり会社整理の方向が見えた時点で、高田社長は執拗に私的整理にこだわるなど、会社の資産をいたずらに減らすことなく万が一の会社整理の段階に至ろうとも、創業家の利益を少しでも多く確保せんとする姿勢が見てとれました。
会社は誰のものか? 人が感情をめぐらせて会社経営をする限り、これは永遠不滅のテーマであります。経営者がいかに経営権を握っていようとも、創業家から見て他人である従業員、同様に他人である株主がステークホルダーとして企業に参画した段階から、経営者を含むオーナー家の利益を優先するような舵取りは、企業経営者として失格であると言わざるを得ないでしょう。
タカタの民事再生法の申請後に開かれた株主総会では、高田社長のあまりに身勝手な経営に対して批判が相次ぎ、「家屋を含めた私財を投げうって還元する気はないのか」との質問が投げかけられました。
しかし、これに対する社長の回答はなし。
先のO社廃業で職を失った元社員は、
「オーナー家が生き延びるために、われわれが犠牲になる、そんな理不尽な経営者についていった私がバカでした」
と無念の表情で話していました。
会社は誰のものか? この問いに、オーナー家だけのものでないということは、企業の大小を問わず、すべての経営者に認識していただきたい事実です。(大関暁夫)