先手先手で事業を拡大した「凄腕」二代目社長
また、こんな例もあります。父の急逝で落日の繊維業M社を引き継いだ二代目Y社長は、父から継いだ会社を新規事業の展開で再生しようと、自らの関心が高かった飲食業界に進出しました。
専門家をヘッドハントして立ち上げたイタリアンレストランは見事にあたり、一躍地域で注目の若手起業家としてもてはやされるようになりました。そんな1号店の成功に気をよくしたY社長は、店舗増設、別業態への展開など、拡大路線での方針を打ち出します。
先代の時代からの参謀役であるナンバー2はじめ内部からは、同社の企業文化や社風を鑑みての反対意見が出されますが、銀行からの資金協力を得て次々と店舗新設に舵を切りました。
しかし、人材育成やサービス水準維持がままならず、借金の重しで瀕死の状態に陥ります。結局、繁盛店の1号店とその運営ノウハウを切り売りすることで、なんとか倒産だけは免れたという苦しい現状。こちらのケースは、「流行」は追えども企業風土に従った進め方という「不易」を無視した結果の失敗であった、と言えるのではないでしょうか。
企業が継承を繰り返し長い年月を経て、その事業を継続、反映させていくことは本当に至難の技であります。その難しさをこうして目の当たりにしてきたからこそ、十六代の長きにわたりそれを実現してきた名門酒造T社Y社長が力を込める「不易流行」の精神は、大きな説得力をもって胸に迫ってきたのでした。
事業は立ち上げよりも、成長よりも、継承することが一番難しい、とよく言われます。事業承継の達人企業が400年の重みを持って伝える「不易流行」こそのキーワードに相違ない、と確信めいたものを掴んだ思いでありました。(大関暁夫)