数年前まで中国の大学や塾で日本語を教えていたが、その授業中、「日本ではお客様は神様と言ってね、スーパーマーケットなんかでは...... 」と、僕はよく自慢げに話していた。
日本のスーパーを褒め、一方で、中国のスーパーのサービスをこきおろしていたのである。
中国でスーパー店員は「謝謝」とさえ言わない
たとえば、中国のスーパーでは勘定のとき「謝謝」(ありがとう)とさえ言わない。おつりは投げて寄こす。そんなところが目立った。
「何々はどこにありますか」と店員に聞くと、おおむね「没有」(ありません)あるいは「不知道」(知りません)のひとこと。自分で探すと、すぐ近くにあったりする。
同じことを、僕が帰国時によく利用するスーパーで尋ねれば、店員は仕事の手を休め、その商品があるところまで連れて行ってくれる。レジにいる店員の丁寧な言葉は途切れることがない。「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」「〇〇円、お預かりいたします」「△△円、お返しいたします。お確かめください」「レジ袋はお入り用ですか」「また、お越しくださいませ」。
お客はおおむね無言である。「カネを払ってるんだ。愛想を言う必要はない」。そんな雰囲気が漂っている。買い手は売り手よりも偉いのだから当然である。しかし、僕はやがて自分の不明を恥じることになった。
同じ系列のスーパーで、店員が過労から亡くなったり、あるいは自殺したりして、新聞種になっていたのだ。過労死や自殺は客への手厚いサービスとどこかでつながっているはずである。サービス残業が多かったということも分かった。