その18 表札 【こんなものいらない!?】

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   戸建ての家が並ぶ住宅街。家々の表札を眺めながら散策するのも楽しい。

   「中島」という表札がある。「なかじま」さんだろうか? 「なかしま」さんだろうか?

  • 亡き父が書いた我が家の表札。愛着はあるが、番地の表示もない欠陥表札である。
    亡き父が書いた我が家の表札。愛着はあるが、番地の表示もない欠陥表札である。
  • 亡き父が書いた我が家の表札。愛着はあるが、番地の表示もない欠陥表札である。

表札から読み取れる個人情報

   九州あたりの中島さんは普通、濁らない「なかしま」が多い。東のほうは「なかじま」と濁るようだが、東にも九州出身の濁らない中島さんが少なくない。

   「山田 / 鈴木」という表札がある。2世帯住宅のようだ。山田さんが親夫婦、鈴木さんが子供夫婦だろう。姓が違っているから、一般的な常識から言えば、鈴木さんは娘夫婦らしい。

   「〇〇勝」「〇〇誠」という男性の名前が並んでいる家もある。こちらは姓が同じだから、親夫婦、息子夫婦だろう。姑と嫁の仲はうまくいっているだろうか。

   ちなみに、「勝」というのは「勇」と並んで昭和10(1935)年代に多かった名前で、戦勝を祈る気持ちがあったようだ。「誠」のほうは、昭和30年代から50年代にかけて多かった。

   男性と女性の名前が表札の左右に並んでいる。姓は同じで、ふたりは夫婦のようだ。ただ、それぞれの名前の横に別のインタホンがついている。同じ家で「別居」しているのかしら? あるいは、男親と娘、女親と息子だろうか?

   以上がどれだけ当たっているかは別として、「表札」というものは、個人情報を結構話している。見ず知らずの通りがかりの人に向かって、こんなにしゃべりまくってもいいのだろうか。

   振り込め詐欺が後を絶たないなど、何かと物騒な世の中である。住宅街を空き巣の下見に回っているヤツもいるに違いない。表札の名前が参考にならないはずがない。

   そのせいだろうか、かつては家族全員の名前を書いた表札もあったが、今はまったくと言っていいほどに見かけない。

表札なしでも郵便物はちゃんと届く

   戸建ての家が中心の住宅街にも、2階建てくらいの賃貸アパートがある。玄関をそっとのぞいてみると、人が住んでいるはずなのに、こちらには名前の表札がない。「101」「102」といった部屋番号があるだけだ。わざわざ名前を掲げるほどの立派な住まいではない、ということだろうか。

   僕は中国各地の7~8階建ての集合住宅に長らく住んできたが、表札を掲げたことはなかった。中国人たちも同じで、部屋は結構広くて立派なのに、番号だけだった。戸建て住宅にも表札はなかった。

   そのほかの国ではどうだろうか。知人一家が最近、3年間のイギリス生活を終えて帰国した。尋ねてみたら、「僕たちはフラット(日本でのマンションやアパートに相当)に住んでましたが、共有の玄関も個別の玄関も番号だけでした」。

   日本の住宅も、たとえば「〇〇町1丁目2-3」といった番号を玄関につけるだけで「必要十分」ではないか。郵便物などはちゃんと届くし、少しは「安全」にも役立つだろう。

   それに、賃貸アパートで表札なしの狭いひと間に暮らす人が、戸建て住宅の立派な表札を見たら、威張られているように思わないだろうか。逆に、戸建ての表札の持ち主はそうした人たちを、上から目線で見てはいないか。

   表札はいろんな「不利益」「不愉快」をまき散らしている。(岩城元)

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岩城 元(いわき・はじむ)
岩城 元(いわき・はじむ)
1940年大阪府生まれ。京都大学卒業後、1963年から2000年まで朝日新聞社勤務。主として経済記者。2001年から14年まで中国に滞在。ハルビン理工大学、広西師範大学や、自分でつくった塾で日本語を教える。現在、無職。唯一の肩書は「一般社団法人 健康・長寿国際交流協会 理事」
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