昔から「失敗は成功の素」と言いますが、失敗をした人が必ずしも皆成功しているわけではない、というのもまた事実です。
では、失敗を活かして成功につなげる人と、失敗だけして終わってしまう人の違いはどこにあるのか。その回答について、元ハーバード・ビジネススクール研究員H氏のビジネスセミナーで、なるほどと膝を叩く気づきがありました。
「失敗が人を育てる」の真意のありか
H氏曰く、「失敗を自分の糧として活かせるか否かは、それをどう受け止めるか次第。すなわち、失敗も成功と同じく自分のものとして受け取れるか否かにかかっているのです」 なんとも哲学的な言い方に聞こえますが、氏のこの話の続きをより噛み砕いた言い方で簡潔に申し上げましょう。
人は自身の成功に関しては、自分の成果として喜び噛みしめ自信に変え、次なる新たな飛躍に向けた糧にするのが常であると。しかし、失敗に関してはなるべくなら自分のものとは認めたくないものなのだと。認めたくないものを、いかに「自責」として認めるか、そこに成功への大きなカギがある、と言うのです。
H氏の話によれば、「与えられら課題での失敗を自分の責任」と受け止めた人は、次の課題で成功する確率がそうでない人の3倍にも上がったという、ハーバード時代の実験レポートもあるそうです。
同じ失敗をしてもその失敗を「自責」で捉えられるかどうかが、次の成功に大きな影響をもたらすというのは実に興味深い結果です。
失敗経験そのものが人を育てるのではなく、失敗を自分の責任として受け止め再発防止策を考え講じることで、人は成長していく。この論理は経営者の成否にとどまらず、身近な問題に置き換えれば、社員の人材育成においても同じことが言えるのではないかと感じました。
よく耳にする「失敗が人を育てる」の真意もそこにあるのでは、と思ったのです。
「失敗が人を育てるなんていうのは大嘘」と言う社長
そんな流れから、H氏の話を聞きながら思わず思い浮かべたのが、10数年の付き合いになるY社長です。十年一日の如く社長の口癖は、「うちの社員は本当に進歩がない」です。私が会社を訪ねるたび、決まって幹部社員を呼びつけては大声で叱咤しています。そして私の来訪に気づくと、たいていこんなことを話しかけてくるのです。
「何度言ったら分かるのか。失敗が人を育てるなんていうのは大嘘もいいところだよ。うちの連中は失敗して、失敗して、さらにまた同じようなを失敗する。失敗して成長につながった試しなんて一度もありゃしない。素直だけが取り柄だけどね」。
このY社長のボヤキの解決策にあたりそうなものも、H氏の話の中に出てきました。
「組織にイエスマンが増える理由、分かりますか? それは無責任な社員が増えているということなのです。要するに、社長がどんなことも自分一人で責任を被ってばかりいると、社員はたとえ失敗をしてもその場で怒られることさえ我慢すればいいと、本質的な責任を感じなくなるのです。そして責任を負わない気楽さに慣れてしまうと、なるべく責任を負わされることがないように今度は責任者である社長の言うことを、すべて受け入れるようになるわけです。こうして無責任なイエスマンができあがるのです。これを素直と勘違いしてはいけません。お分かりですか? 」
「うーん、Y社長に聞かせてあげたかった」と、思わず心の中で叫びました。
「よいワンマン、悪いワンマン」
さらにH氏は「よいワンマンと悪いワンマン」という言い方で、ワンマン経営者の良否判定基準をも提示してくれました。
それによれば、「失敗の尻拭いはしても、部下に責任はしっかりと負わせるのが、よいワンマン」。対して、「失敗を叱責はしても、部下に責任を負わせることなく責任をすべて自分で負ってしまうのが、悪いワンマン」だそうです。
一見すると、責任をすべて負ってくれる上司はよい上司に思えるのですが、部下の成長という点から考えるとじつはそうではないようです。
では、「失敗を自責で捉える力を高めさせる」にはどうすればいいでしょうか。私がそこを知りたいと思っていると、出席者の一人がまさにその質問をしてくれました。
H氏は当然質問を想定したのか、待ってましたとばかりに答えます。
「一人ひとりの役割や責任範囲を、より具体的に明示してあげることです。『君に営業部長を任せる。よろしく』ではなく、『君には営業部長として、売上目標の達成と部下の育成を頼む』と具体的に指示することです。『名ばかり役員』『名ばかり部長』は、結局のところ『無責任役員』『無責任部長』になってしまい、一番かわいそうなのは本人です」
近々、Y社長にお目にかかったら、早速この話をしてあげようと思います。長年の社長のボヤキ節が聞かれなくなる日が近いかもしれません。(大関暁夫)