30女にゃマネできない、スゴすぎる林真理子の「お金の使い方」

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   働くアラフォー向けファッション誌「Marisol」(集英社)が10周年を迎えたというので、最新号を読んだ。

   冒頭には見開きで、作家の林真理子さんが記念エッセイ、「働くアラフォーたちへ マリソル10周年記念メッセージ」を寄せている。私も「働く女」の端くれとして読み、これは名文だと思ったのであるが、同時にヒヤッとした。

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「女の本音」と「消費」で時代の寵児に

   なにかといえば、私のなかの「プチ・林真理子」(とあえて言わせて頂く)が反発したのだ。

   林真理子は、昨今の政治用語でいうなら「女性活躍推進」の茨の道を切り開いてこられた人物だ。バブル前夜に大ベストセラーとなった「ルンルンを買っておうちに帰ろう」(主婦の友社、1982年)では、それまで誰も言わなかった「女の本音」(お金がほしい、男がほしいなどなど)を赤裸々に告白しバッシングも受けたが、その後は努力して直木賞作家となった。

「努力の先にはいつも楽しいことが待っているとは限らない。(略)しかし私はたくさんの友達に恵まれ、家庭も手にすることができた。そして自分に向いていて、たくさんのお金をもたらしてくれる仕事も手にしている」(「Marisol」2017年5月号35ページ)

   そうして稼いだお金をハデに消費し、女性の支持を集めてきた林真理子。このエッセイでは最近、国宝級の着物や帯を何枚も購入するために定期預金を崩したとか、11人の友人にふぐをご馳走し、「空恐ろしい」額の会計をすませ、現金をレジで数えているときの様子を「酩酊しているような気分」と表現する。

   読者はケタ違いの消費に唖然とし、ひとときの夢をみる。問題はそのあとだ。

かりそめの「自分」を顧みず......

「自分でお金を稼いで、自分のためにも人のためにも遣う。なんて楽しいんだろう。なんて気持ちいいんだろう。お金をパーッと遣うことの清清しさは誰にでも覚えがあるはず」(「Marisol」2017年5月号35ページ)

   そりゃあそうだ。普段はケチケチしている私も、自分で稼いだお金を美容に何十万円とつぎ込むときの、あの「清清しさ」はやってみるまで分からなかった。

   そうそう私も、私も...... と、共感を得るための一文なのであろうが、ハタと気づく。

   私たちは日々のストレスを、ちょっと分不相応な高いモノやコトに散在して「清清しい」気持ちになることで、「プチ・林真理子」になっているのではないか。

   その消費行動は彼女のエッセイでもって正当化され、なるほどお金を遣うって楽しい、バンザイ、明日からまた頑張ろう...... と、林真理子でない私(たち)は思う。私たちは決して、林真理子にはなれないのに。

   彼女は今、夫と穏やかに過ごす日常を「充実した人生というのはこういう小さな幸せを積み重ねたものだ」と語る。なるほどと思うが、多くの人は林真理子の側には行けないまま、何も考えることなく消費させられているだけかもしれない。

   人生の終盤になって自分がしてきた消費に意味づけをすることはできるが、彼女のエッセイはそこまでの思索を要求しないから読みやすいのだ。

   消費社会を「プチ・林真理子」気分で生きることは、マッチ売りの少女よろしくショーウィンドウがみせるかりそめの「ちょっと上質な自分」に耽溺して、模倣者に安住する第一歩ではないか。

   私は自分が、そうなるかもしれないと危機感を抱いている。簡単なほうへ流れるのはごめんだ。わが消費にいちいち意味を見出し、ケチをつけながら生きていきたい。そうして彼女のエッセイを読み終えると、おそろしく鼓舞されていることに気がついた。やはり林真理子はスゴイ。(北条かや)

北条かや
北条かや(ほうじょう・かや)
1986年、金沢生まれ。京都大学大学院文学研究科修了。近著『インターネットで死ぬということ』ほか、『本当は結婚したくないのだ症候群』『整形した女は幸せになっているのか』『キャバ嬢の社会学』などがある。
【Twitter】@kaya_hojo
【ブログ】コスプレで女やってますけど
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