スーパーマーケットで買い物をしてレジに行くと、わが家の近くのスーパーだと、「NO レジ袋」と称したはがき大のカードが数枚、レジの目につく場所に掛けてある。買った物を入れる袋を持参していて、スーパーの袋が要らない人は、買った物と一緒にこのカードをかごに入れてくださいというのである。
声を出して言えばいいことなのに
すると、ポイントカードに2ポイントを余分に付けてくれたり、代金から2円負けてくれたりする。あちこちのスーパーをのぞいてみると、こういうやり方がどうやら主流のようである。
だけど、声を出して「袋は要りません」と言えばいいことなのに、なんでカードをかごに入れなければいけないのか? 体に障がいがあって、声を出せない人もいるだろう。でも、たとえそうであっても、身振り手振りでレジ袋不要くらいは伝えられるはずである。
余談だけど、この「レジ袋」って呼び方は、おかしな日本語ではないだろうか。たまたま入ったスーパーでは「NO レジ袋」ではなくて、カードに「買い物袋は要りません」と書いてあった。もちろん、これをかごに入れろというのだけど、「買い物袋」なら、普通の日本語だし、意味もよく分かる。以後、この記事でも買い物袋と書くことにする。
少し脱線したが、僕が言いたいのは、口でちょっと言えば済むのに、わざわざ「無言」を強いるような風潮はいかがなものか、ということである。
満員電車の「無言」も似ている
スーパーのほかでも、無言の光景をちょくちょく見かける。例えば、満員電車に立って乗っている。電車が駅で止まる。僕が降りる駅はまだ先だから、僕はじっと立っている。すると、後ろから押してくる人がいる。スリだろうか? いや、そうではない。この駅で降りたいから、前にいる人を押しているだけなのだ。
降りたいなら、「降ります」とか「すみません」とかひとこと言えばいいのに、何も言わない。無言で、ただひたすらに押す。人混みで肩がぶつかっても、「失礼しました」なんてことは言わない。無言の連中が目立つ。スーパーで買い物袋不要のカードを黙ってかごに入れるのと似ている。
このカードにはまだ疑問がある。買い物袋不要の客には2ポイントをつけたり、2円負けたりするのは、結構なことのように思える。しかし、それは買い物袋をつけることをそもそもの前提にしているからである。話が逆ではないのか。
資源節約を目指すなら、買い物袋をつけないことを前提にし、袋が必要な客からは2円なりを取るのが正しいやり方ではないか。現にそういうスーパーもあるし、そこには買い物袋不要のカードは置いていない。中国や台湾のスーパーやコンビニもそうである。
買い物袋不要のカードは二重の意味で「こんなものいらない!?」のである。(岩城元)